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つぶや記 31 
  中秋の名月

   田中絹代の監督作品『月は上りぬ』(昭和46年)を、わたくしは下関市細江町の松竹映画劇場で観ました。古びた劇場の暗さが目立つ客席に人はまばらで、しんみりと湿った空気がただよう中、モノクロームのスクリーンに中秋の月が浮かぶ場面を記憶しています。
   ことし9月22日の夕刻、わたくしの家から望む周防灘に、「盆のような月」が上がるのを見ました。中秋の名月です。中秋の名月は、旧暦8月15日の夜空に輝いている月のこと。仲秋とは旧暦8月一杯の期間をまとめて呼びます。旧暦9月15日の月は、単に「名月」と呼び、ことしは10月22日がそれにあたります。
   「あさましかりし夏も過ぎ、秋にもすでになりにけり」とは、平家物語巻第5「月見」の書き出しですが、「あさましかりし夏」とは、酷暑と大事件が続発した平成22年の夏を思わせます。清盛の福原遷都直後、おろおろしながらも中秋の名月を見ようと、あちこちに足をはこぶ公達の優雅な困惑ぶりが述べられています。
   『名月記』は、治承4年(1180)から55年間にわたる藤原定家の日記ですが、その日記を書き出したとき定家は19歳、源平の争乱がはじまったころです。日記の最初に「世上の乱逆追討は耳に満つといへども之を注せず、紅旗征戎は吾が事にあらず」と記し、歌の道に専念する一方、冷静に世の移り変わりを書きとめました。
   定家の父俊成も歌道の大家で勅撰和歌集の選者、平家物語巻第7「薩摩守・俊成卿対面の事」の章に登場します。都落ちする平家の武将のひとり平忠度は、自分の作品を見てもらいたいと、京都五条の三位俊成の屋敷をおとずれます。門は閉ざされていましたが、惻隠の情をもって、
忠度の歌集を受け取り、のち一谷の戦いで戦死した彼の歌一首を「詠人知らず」として千載集に採りました。平家物語ロマンの一節です。
「さざ波や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな」 
                                                                           (古川 薫)

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