トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記23 誇り高き中也記念館

つぶや記 23
  誇り高き中也記念館

   山口市の中原中也記念館の特別企画展「河上徹太郎と中原中也ー
その詩と真実」が、ひらかれています。わたくしは昭和51年の春、「新潮」編集長の坂本忠雄さんの紹介により下関で、河上先生にお会いし、以後みじかい期間でしたが、懇切なご指導をうけました。
   当時、河上先生は「新潮」に山口県の郷土史にかかわる『歴史の跫音』を連載しておられました。音楽評論家として、また小林秀雄とならぶ文芸評論家として文壇の最先端をあゆんで来られた河上先生が、昭和43年(1968)『吉田松陰 武と需による人間像』を著作に加えられたときは、ふとしたおどろきを感じたものでした。
   以後『憂い顔のさむらいたち』、さらには晩年にむかうころ『歴史の跫音』にとりかかられたのです。それはふるさとへの回帰ということでしょうが、わたくしは先生が岩国人という事実とむすびつけて、晩年の著述活動をながめておりました。
   関ヶ原合戦での毛利氏敗北にからんで、岩国吉川家と萩本藩との冷たい関係は幕末までつづきました。岩国人の長門部にむける屈折した視線が、先生のふるさと回帰と共に雪解けを迎え、郷土史への筆の冴えは熱を帯びて、大内氏までにも広がっていきました。『歴史の跫音』のあとがきにある次の言葉が印象的です。
   「先祖の流した血の上に私の血の匂いを嗅いだ。彼らの行動や愚行の中にただならぬ私の性癖を露に感じた」
司馬遼太郎氏の長州ものと、河上先生のそれが根本的に質を異にするゆえんであります。それにしても中原中也との微妙にして親密な交友、ヴェルレーヌの『叡知』を訳し、モーツアルトの歌劇を論じた名著『ドン・
ジョヴァンニ』の河上徹太郎が郷土の人であるという誇りを高く掲げた
展覧会を観て、田中絹代ぶんか館の一員たるわたくしは、展覧会とは
かくありたいと思いながら、炎熱の山口盆地から帰ってまいりました。
                                                                         (古川 薫)

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