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 つぶや記 55
 大地震を哭す

 大自然にたいする人智の無力、予知能力のなさを、またも深く感じさせられました。「万を越す遺体」といったニュースなど悪夢でしかありません。治山治水は古今を通じて政治の要諦です。「想定外」などと言い訳しながら甚大な被害に泣き、天災には抗すべくもないとあきらめる人智の愚かさは、千年来の悲劇です。
 「これで立ち直りかけた日本経済は、また転落だ」と冷ややかな言葉をなげつける外国紙もあれば、危急に臨んで沈着冷静な日本人を称賛し、「彼らは力強く復興をなしとげるだろう」とうれしい励ましを書いてくれる外信もあります。幾多の震災、戦災を克服した誇るべき災異史をわたくしたち日本人は持っています。
 震災といえば、今の時点で不謹慎のそしりを受けそうですが、どうしても田中絹代を連想してしまいます。関東大震災で東京の撮影所が壊滅し、映画会社が一斉に京都に本拠をうつしました。絹代が京都の松竹下加茂撮影所に入社できたのは、たまたま大坂に住んでいたからです。悲惨な目に遭う人がいる半面で、人生の転機を与えられる人もいる。非常な明暗を分け合うのも宿命というものでしょう。
 関東大震災の歴史が教えることは、震災恐慌など経済界への衝撃のほか治安維持法の制定その他暗い話ばかりですが、わずかに文化面ではある意味のルネサンスを画しました。谷崎潤一郎は、関東大震災を機に関西へくだり、上方の伝統文化に親しみました。田中絹代の芸名を高からしめた『お琴と佐助・春琴抄』の原作は、谷崎が得たその収穫のひとつです。
 震災の復興に力を奮い起こしながら、21世紀におけるあるべき「震災後」の画期的な明るみを求めたいと思います。敗戦後の落日を浴びながら、日本人は20年かけて人類初の海底国道トンネルを貫通させ、世界の注目を集めました。わたくしたちの身近なところに、生きた教訓が横たわっています。      (古川 薫)

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