
日本映画の新しい時代を切り拓き、今も日本映画史に燦然と輝く、女優・田中絹代は、1909年11月29日、関門海峡を見下ろす下関市丸山町で生まれました。
14歳で銀幕デビューした絹代は、17歳で主演女優に抜擢され、67歳で没するまでの間、約250本の映画に出演しました。
特に壮年期以降の円熟した演技は、海外でも高く評価されました。
また、女優としては日本で初めての映画監督となり、6作品を発表しました。
「私は映画と結婚しました」と度々語っていた絹代は、晩年は下関を大変懐かしみ、「私が死んだら骨は下関のお墓に入れて欲しい」という言葉を残しました。
現在、下関市の中央霊園には絹代の墓があり、毎年、命日の3月21日には『花嵐忌(からんき)』と名付けられた市民墓参が行われています。