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つぶや記194
奇兵隊150年

   ことしは元治元年(1864)12月の功山寺挙兵から150年の記念すべき年です。高杉晋作のこの功山寺決起が失敗していたら、明治維新はおそらく10年以上歴史年表から遅れることになったと言われるほど重大な意味を持つ事件です。
   さてこのほど『奇兵隊デビュー』というテレビ番組を観せてもらいました。「何者かになりたい」という副題にこの番組のねらいがあるようです。
   「奇兵隊に入ったらサムライになれるぞ」と若者がはしゃいでいる場面がかなり綿密に描かれていました。陪臣身分だった奇兵隊3代目総管・赤根武人の上昇志向が、そのことを藩に願い出て拒否されています。奇兵隊入隊応募者にとって、そのことが重大な動機としてあったと、ことさら強調するのは、奇兵隊誕生の本質を見誤っています。
   天保大一揆の震源地であった瀬戸内地方の若者が入隊希望者の多数を占めていること、外国艦隊来襲の対外危機感や郷土防衛意識が若者の奮起をうながしたことなどは、集団的自衛権が論議されているこんにちでこそ意義のある歴史的課題と申せましょう。
   この番組を制作したのは、年齢的にも幕末、奇兵隊に入隊した人々と同世代だと思われます。日本がアメリカと戦争したことも遠い過去となってから生まれた人たちです。
   話は変わりますが、柳田邦男氏の『零式戦闘機』を読んでいたらこんなことが書いてありました。南太平洋の激戦地だったラバウル沖から引き揚げられたゼロ戦が、国立科学博物館に展示されたことを詠んだ次の時事川柳が、読売新聞紙上に載ったことからの論争で、昭和50年のことです。
 ≪ゼロ戦の心  長髪族知らず≫
   作者は70歳の戦場体験のある男性で、「ゼロ戦は今次大戦を象徴している。タレント気取りの若者にあの戦争の苦しさはわからないだろう」という気持ちを詠ったのだそうです。これにたいして「ゼロ戦は"惨事の残物"にすぎない。その残骸に戦争の悲惨さのほかに何が残っているのか。われわれにとって戦争はもはや教科書の1ページにすぎない」というのは20歳の学生。また「ゼロ戦の心は、乗っていた人間の真剣な生き方だ」といったのは18歳の高校生でした。
   インターネットに無責任な匿名の放言が投稿されていて、不愉快を覚えることしばしばですが、「犬死にした特攻隊」と切り捨てて戦中派を嘆かせているのもその1例です。歴史学者の会田雄次氏は『たどり来し道』に、アメリカで作られた特攻シーン実写入りの映画で、特攻機が次々に米艦から撃墜される場面を見た日本の中学生たちが拍手喝采する光景に、怒り悲しんだことを書いています。
  奇兵隊誕生の動機を、幕末の対外危機感から遠ざけ、当時の身分制における若者の上昇志向と強く結びつけて描くのも今様の史観というものですか。
                                                                               (古川 薫)


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