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つぶや記 205
「停年」ではなく「定年」

  戦後しばらくはまだ「停年」といっていました。労働者が一定の年齢に達して職場を去る(去らされる)ことです。これは主として公務員の制度ですが、民間企業もこれを就業規則に明記するようになりました。
  「停年」という字は、「もうあんたはストップ!」というきびしい意味が響くとあって、今では「定年」と、少しやわらかい感じになりましたが、本義は変わらないのです。労働者にとって、定年は長く勤めた職場を追われる悲哀を味わう人生の一つの区切り点には違いないのです。
  だが世間には、定年を「待ってました」と歓声をあげて迎える人もいるようです。働いている間はほとんどの時間を売り渡していたが、きょうからは全部自分の時間、思いきり好きなことができるというわけです。
  しかしまさに現実はきびしく、自分の時間を目いっぱい楽しむには、まず経済的な条件がそろわなければならない。晩婚の人にとっては、就学中の子供がいる。また家族に病人がいようものなら悲劇は倍加します。
  いちおう60歳が定年ということになっていますが、まだ働き盛りの今では、定年を65歳に延長すべきだという意見も強く、70歳という声もあります。
  法律によって定年を延長させようとする動きもありますが、企業側では頑固に60歳定年を守ろうとしているのが現状です。定年とは役所や企業にとって、ていのよいリストラの機能があるからです。高齢化が進むとき、定年はこれからもっと深刻な社会問題になってゆく気配があります。
  さて、定年を悲哀感でもって迎えようと思っている人に申しあげます。毛利元就が厳島で陶氏を討って戦国大名に躍り出たのは、還暦つまり定年に近い58歳でした。徳川家康が関ヶ原合戦で勝利して天下人にのしあがったのも58歳です。ご両人ともそれから16年生きて、最も重要な事業を成し遂げて人生を終わっています。
  経済界、文化界には定年のない人々がたくさんいます。そして還暦から人生最高の仕事をして大往生した例が数えきれないほどあります。
  先日死去された下関出身の作家船戸与一さんが、直木賞を受賞されたのも56歳で、その後ガンにおかされ、全身転移という症状で数年間を耐え、最後の血の一滴までしぼりつくして全9巻の大作『満州国演義』を完成し、最終巻が出て間もなく旅立たれました。元就・家康より3年早い71歳の大往生でした。
                                                                                   (古川 薫)

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