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つぶや記 264
  サプライズ入閣

   来年、明治維新150年紀を迎えるにあたり、第三次安倍改造内閣の顔ぶれを見ながら、伊藤博文の第一次内閣のことなど思い浮かべました。明治18年(1885)12月、わが国初の内閣制度が発足したときの閣僚の顔ぶれと比較していささかの感慨を覚えました。
   薩長藩閥政治がここからはじまったと言われますが、必ずしもそうではないことが、日本史辞典内閣表に現れています。
   維新直後の魑魅魍魎うごめく政界をまとめていく伊藤博文の手腕の程がうかがえて興味深いものがあります。まず伊藤が心がけたのは仲良し内閣としないことでした。
   井上馨・山県有朋という長州の大物が閣僚に名をならべているのは当然として長州からはその伊藤をふくめ3人。薩摩は黒田清隆・森有礼・松方正義の3人、土佐は土方久元・谷干城、肥前が大隈重信と、薩長土肥のバランスをとっています。
   土佐からは坂本龍馬が出るところですが、幕末に暗殺されました。龍馬は土壇場で西郷らと袖を分かち、天皇制によらず徳川慶喜を復活させて列候会議による共和制に近い新政府を建てようとしました。坂本龍馬の暗殺はそれと関わっているという説があります。わたくしもその説に賛成であります。
   とにかくカヤの外に追いやられた土佐閥の後藤象二郎・板垣退助らは明治新政府に反抗する自由民権運動に走りました。
   藩閥とうまくバランスを取って出発した明治政府にとっての強力な野党が自由民権運動だったのですが、間もなく雲散霧消してしまいます。いつの世も受け皿は難しいものですね。
   第三次安倍改造内閣には、サプライズ入閣ともいうべき顔が二、三見えますが、なお物足りなさを感ずるとすれば、スーパー・サプライズに欠けていることです。
   第一次伊藤内閣のスーパー・サプライズというべき人物はいました。北海道の五稜郭にこもって最後まで新政府に抵抗した旧幕臣榎本武揚です。降伏した敵方の総大将を許し、ついには逓信大臣として入閣させたのです。榎本は外務大臣にも重用され、野に去ってからは黒田清隆の下で北海道開拓にも活躍しています。今の政界にそのような人材がいるかいないか。いるはずです。三顧の礼をもって台閣に迎えられる大度量・大果断・大識見の宰相出でよ!
                                                                               (古川 薫)

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