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つぶや記 204
日本人への信頼感

   日清戦争後、ヨーロッパで黄禍論(yellow peril)なるものが広がりました。日清戦争に日本が勝ったことで、勃興した黄色人種が白色人種にわざわいを及ぼすことになるのではないかという警戒感、ひいては日本人への嫌悪感、さらには人種偏見です。
   つづいて日露戦争に勝利し、欧米諸国と対等の一等国になったと日本人は胸を張ったのですが、出るクギは打たれたのです。その上、欧米の白人社会にある有色人種への根強い偏見が、維新革命によって台頭したアジアの近代国家日本への反感となって顕現したのでした。
   黄禍論を唱えた発頭人はドイツ皇帝ウィルヘルム2世でした。白人の有色人種に対する嫌悪感は21世紀の現代にいたっても生きており、アメリカあたりでは、連日のように痛ましい事件となって報じられています。白人種にとって有色人は「人間以下」という概念は薄れこそすれ根絶することはないように思われます。「日本人は別」という人がいれば念のため申し添えますが、南アのアパルト・ヘイト時代、わたくしはケープタウンに行きました。そこでの日本人は「准白人」でした。経済力でせいぜいその地位?を与えられていたのです。屈辱の記憶は消えません。
   黄禍論ただようころドイツに留学した森鷗外は、『うた日記』に「勝たば黄禍、負けば野蛮、白人ばらの、えせ批判」と詠んで明治日本人の気概をしめしています。その「白人ばら」の許せない話があります。
   パラオ諸島は、かつてドイツ帝国の委任統治でした。第一次大戦の結果、ドイツに代わって日本が統治することになり、海軍が担当しました。行ってみるとドイツ人による非人道的な統治のあとは目をおおうばかりだったのです。
   黄禍論の本場から南洋にやってきた彼らにとって、パラオは原始的な "土人の島" でしかなかったのです。島民は奴隷としてあつかわれ、実際に島民の一部は奴隷として本国に売り飛ばされていました。
   悲憤の涙をはらって、海軍はある行動に出ました。ヨーロッパに人を派遣したのです。任務をおびた海軍軍人は、草の根をわけるようにして、パラオから売られてきた人々を探し出し、無事島につれ帰ったのでした。
   日本人への絶大な信頼感をパラオに染み込ませた秘話を聞いて、わたくしは現地でもあたってみましたが、奴隷にされた屈辱もあるのでしょうか、証言者は現れませんでした。国会図書館のパラオ関係資料からも発見できず、海上自衛隊OBの戦史室勤務のかたにお願いしてしらべてもらいましたがだめでした。
   パラオ共和国の人々の親日感の背景にこんな話があることを風化させないために、これだけのことを書きとめておきます。
                                                                               (古川 薫)

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