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つぶや記 221
  最後の1人になりました

  女優田中絹代さん一家は、石もて追われるように下関を出たのですが、やはりふるさとは捨てきれず、母親をはじめ兄弟全員の遺骨を下関のお墓に納め、最後に自分もその墓に入ったという話を何度か書きましたが、ことしも書いて英国に送りました。多分来年中の出版になるのでしょうが、英国で田中絹代の本を編集中です。
  さてことし10月にはわたくしの親友佐木隆三氏が78歳で亡くなりました。年末北九州市でお別れ会が催され、弔辞を読んで参りました。それは佐木さんとの約束だったのです。
  「あんたの弔辞は僕が読む」と酒席での冗談で言いました。彼はわたくしより12年下です。自分より先に死んだら、そんなことになるぞと、深酒常習の彼に警告のつもりだったのですが、あんなことは冗談で言ってはいけなかったと悔やんでいます。
  昨年の初秋、佐木さんの「風林山房」(北九州市門司港)を訪ね、二人で酒を飲んだ時、古い新聞の切り抜きを彼が取り出しました。50年前の昭和42年1月4日号の朝日新聞です。九州・山口在住の新進作家8人を、若松の高塔山にある火野葦平文学碑の前に集めて撮った、今となっては懐かしい記念写真です。
  下関からはわたくしと長谷川修さんが呼ばれました。九州からは野呂邦暢・佐木隆三ほか4人が顔をそろえました。佐木さんとはそれ以来のつきあいです。
   「みんな死んで、われわれ2人が残ったんだな」と、佐木さんが写真を見ながらつぶやきました。そして「僕の弔辞はあんたが読んでくれるんだったな」と、言って笑いました。「引き受けた」とわたくしも笑って答えるといういつものジョークで、乾杯したのです。
  あれ、ムシが知らせるというんですかね。ほんとうのことになってしまいました。わたくし1人、老残の身をさらすことになりました。
  やり残したことがあるので、すぐには後を追いません。高塔山8人衆の最後の1人となって、もう少し仕事をしますので、来年もよろしくお願い申し上げます。
                                                                                   (古川 薫)

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