トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記79 孫文蓮

つぶや記 79
  孫文蓮

   下関市の長府庭園には7月中旬に花をひらく「孫文蓮」があります。大正・昭和にかけて下関市長府に田中隆というお金持ちが住んでいました。豪邸はその一部が長府黒門町に遺っています。
   孫文が辛亥革命の資金を日本で募ったとき、日本の富豪数人が巨額の献金をしています。田中隆はそのひとりです。孫文は下関にきて田中に会い、感謝のしるしに中国普蘭店の泥炭地から出土した2千年前の蓮の実を4つ、祝儀袋にいれて贈りました。田中の死後、大賀一郎博士の手によって発芽、みごとな花を咲かせました。これを皇居の道灌堀や奈良の薬師寺に移植、「孫文蓮」と命名され、のちに中国南京の中山公園に寄贈されました。長府庭園のそれは南京からの株分けです。
   「孫文蓮」は、北京の中山公園にもあります。これはわたくしが1972年(昭和47)に訪中したとき、田中隆の子息から依頼されて寄贈したもので、その後開花したしたとの報告があり、当時の人民日報でも紹介されました。田中隆のことは拙著『海と西洋館』(筑摩書店)に書いております。
   ところで9月4日付新聞によると、香港で「孫文と梅屋庄吉展」が催され、長崎市長らも出席しています。長崎には梅屋庄吉の銅像もできて「日中友好」の励みとしているようです。
   わたくしが言いたいのは、梅屋におとらず孫文に巨額の献金をした人物は、山口県下に2人もいます。田中隆のほか久原房之助(萩出身・日立製作所の社祖)がいます。やはり当時のお金で総額300万円にのぼる献金でした。久原は孫文の受取証を保存していたので、東京裁判にA級戦犯として出廷したとき、それを提出して放免されています。山口県下には田中隆も久原房之助も、まだ銅像を建ててもらっていませんし、これら大先輩を「日中友好」に役立てようという発想も生まれていません。このご両人はむろん地元にたいしても巨額の寄付をしています。長州人といわず現代人はなべて忘恩の徒ですかねえ。
                                                                              (古川 薫)

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