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つぶや記 70
  恩地トミ母子の写真

   先日来、講演で「中山忠光暗殺事件」について話しました。内容は事件そのものの経緯と事件後の周囲の動きに重点が分けられます。事件後といえば、忠光が長府藩の手で暗殺された当時、側女の恩地トミがみごもっていたこと、彼女の孫が満州国皇帝の弟愛新覚羅溥傑と結婚したことなどに話が発展します。
   田中絹代監督作品『流転の王妃』では、恩地トミのことが、まったく省略されているので、それらを補足する意味もあって、すこしばかり力を入れました。愛新覚羅、中山両家の系図から恩地トミが消されているのは、トミが下関の商人の子であることを、貴族が嫌う理不尽な理由らしいので、ことさら協調しました。
   念のため『下関市史』(旧版)の藩政期編を見ると恩地トミが赤ん坊の仲子(やがて嵯峨侯爵家に嫁す)を抱いた写真が載っているのです。やや不鮮明な写真ですが、眉目秀麗といったトミ女の風貌もしのばれるまことに貴重な写真です。よくぞこれを探し出して掲載してくれたと市史編集者に感謝したしだいですが、撮影者や出所があきらかにされていないのが残念でありました。しかし疑いの余地はないようです。
   明治のはじめ下関の宮田町に富田重範という写真師がいたのを、稲荷町の大坂屋の当主木村義男さんから聞いたことがあります。幕末、長府藩報国隊の隊士として戊辰戦争に従軍し、北越の戦いで足を負傷して凱旋、下関で最初の写真店を開業しました。
   重範の悲願は長府藩の殿様「毛利元周」の写真を撮ることで、それは叶えられたそうですから、長府にいた恩地トミ親子の写真も彼が写したものかもしれません。市史編集者は恩地家から入手したと思われます。ほんとうに貴重な写真を遺してくれた。重範さんにも感謝と言ったら、すこし騒ぎすぎですかな。   
                                                                          (古川 薫)

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