名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記225 時間学について

つぶや記 225
  時間学について

   アインシュタインが100年前に予言した「重力波」の観測に成功したというニュースが新聞紙面に躍っていました。
   わたくしは「時間」というものもある種の「重力波」のように思えてならないのですが、時間は絶対に目に見えない不思議なものです。電気や電波が見えないのと同様に、見えないがたしかに存在するのです。
   空気というものがあって、それを呼吸して人間が生きていることが当たり前のことになっています。空気は無色透明な気体で、酸素・窒素・アルゴン・二酸化炭素・水素などに分析されて、その実体は科学的に把握されているにしても、われわれ人間がそれに取り巻かれて生きていることはやはり不思議と言わざるを得ないのです。
   当たり前すぎて、しかつめらしく考えることがないのですが、人間は空気とおなじく「時間」にくるまれて暮らしている生きものです。
   新生児から幼児へ、成年から老年へ、そして人間を死に送るのは時間です。電気のように、目にみえない強力な媒体で、人をメタモルフォーゼしてゆく怖ろしい何かです。
   死への思考を停止しているように、多くの現代人は改まって時間とは何かを考えずにきたのですが、このごろ「時間学」なるものが大学の研究課題になって、まだ日が浅いようです。
   これに早く取り組んだのは山口大学で、広中平祐さんが学長のころ「時間学研究所」が創設されたことは、あまり知られていません。広中さんは山口県出身、数学のノーベル賞といわれるフィールズ賞を受けた方です。数学にも時間があるのです。哲学にも時間が関わっていきます。ずっと以前、わたくしは『アウグスティヌスの時間概念』という本を古書店で拾い読みしたことがあります。今から1600年ばかり前、時間とは何かと考えた人がギリシアにいたのですね。
   アウグスティヌスは、砂時計で時間を可視化し説明していました。上にある砂が未来(可能性)、ガラスのくびれた部分が現在、下に落ちた砂が過去です。
   100円ショップで砂時計を売っています。わたくしがそれを机上において、しみじみとながめているのは、年齢のせいでもありますが、時間の「重力波」に乗っているのは老若男女みんなですよ。若い人もどうぞ時間をお大切に。
                                                                             (古川 薫)