名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記75 セミしぐれ

つぶや記 75 
  セミしぐれ

   わたくしの住んでいる下関市長府羽衣町の森では、毎年7月14日ごろ、初ゼミの声を聞きます。ことしは迀闊にも聞きもらしました。書斎で耳を澄ますと遠いセミしぐれが、湧くように耳の底で響いていますが、なぜか現実感がないのです。
   耳鳴りかもしれない。不安になり、外に出て耳を澄ませますと、セミはたしかに遠くで鳴いているようですが、部屋にもどると、また違う遠いセミしぐれが耳の底でかすかな響きをつづけているのでした。これはやはり耳鳴なのでしょうか。
   家の前に車がとまる音は、聞けるのだから、聴覚はまず正常、だとすれば自然の側に異常が起こっているに違いない。とにかく身近なところでセミしぐれが聞けない夏は不気味です。
   今から66年前の8月、わたくしは見習士官として兵庫の航空隊におりました。7日の朝、親しくしていた将校のひとりが、そっと新聞を見せてくれました。「広島に新型爆弾」という2段見出しが見えました。「原子爆弾を落とされたということだな」と彼は微妙な笑いを見せて言いました。
   その数年前、わたくしが民間人だったころ、新聞でやはり2段見出しの「マッチ箱で軍艦を轟沈」という記事を読みました。原子爆弾の開発を各国で競っているというニュースでした。
   「日本も早く原子爆弾をつくって、アメリカをやっつけたらよい」と思ったのはわたくしだけだったでしょうか。先につくったアメリカが、それを広島に落とした、もう神風は期待できないと思いました。敗戦の玉音を聞いた8月15日の正午、直射日光に皮膚を灼かれながらうなだれた頭上から 、耳をつんざくようなセミしぐれが降りかかってきました。残酷な8月の記憶であります。  
                                                                         (古川 薫)