名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記47 デコちゃん逝く
つぶや記 47
デコちゃん逝く
デコちゃんこと高峰秀子さんが亡くなりました。わたくしより1つ年上ですが、同世代の美人女優として、ずっと見守りつづけてきたという感慨があります。はじめて彼女の映画を見たのは、昭和13年(1938)のことで、東宝映画『綴り方教室』(山本喜次郎監督)に出演した時は14歳、子役の演技力が評価され、これが女優としてのデヴューとなりました。当時、国分一太郎という児童文学者が、「生活綴り方運動」を全国的に展開していました。貧しい家の子が、正直に家庭の模様を書く、貧しいことは恥ずかしいことではない、子どもたちが現実をみつめて、人間的にめざめてゆくという国語教育運動です。それは政治批判にもつながるので、国分氏も言論統制の網にひっかかり、逮捕投獄されたりもしています。
マルクス主義風潮の影響を受けて「傾向映画」というものが製作されました。『綴り方教室』もその1つといえます。心ある映画監督らが、当局の弾圧をくぐり抜けながら、傾向映画と取り組みました。のちの田中絹代とのコンビで数々の傑作を創り出した溝口健二も傾向映画『都会交響楽』などをつくっています。
そうしたデヴュー作品のせいもあってか高峰秀子の生き方は、他の女優とどことなく違うように見えるのです。つまり人生に対する芸能人にない知的な視線を感じさせるものがありました。年取ってからは何か投げやりな姿勢をのぞかせるのが気になりましたが、いつまでも若くブリッコめいた擬態を見せる大女優よりはよほど人間らしいと思ったものでした。その生い立ちが似ていることで、田中絹代が幼い秀子を、よく自宅に招き可愛がったこともよく知られています。デコちゃんのご冥福を祈りながら――。
(古川 薫)