名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記20 投げキッス事件

つぶや記 20
投げキッス事件

   今回も念のため広辞苑のお世話になります。「投げキッス」の項を引くと、次のように解説がしてあります。「指先を自分の唇に当て、その指を相手に向って投げ送る身ぶり」
   田中絹代の投げキッス事件が、派手な新聞報道となったとき、わたくしは24歳でしたから、いわばサッカー試合で日本チームが点を入れた瞬間くらいの騒然とした空気を、今もあざやかに記憶しています。
   絹代が親善使節として渡米したのは、昭和24年(1949)10月でした。羽田空港のパン・アメリカン機のタラップをのぼる絹代の衣裳は、「宮本武蔵」のお通を真似て豪華な古代ものを使った小袖姿でした。そして翌年1月19日午後1時15分、羽田空港着の飛行機から降りる彼女の衣裳は、エンジのベレー帽、格子縞のアフターヌーン、ドレス、銀狐のハーフコート、赤いハイヒール、銀のイヤリング、そして黒のサングラス、首にはハワイみやげのレイをかけていました。各紙は「あちらじこみのニュールック」と、書き立てましたが、「マイアミ海岸ならいざしらず、真冬の日本でサングラスとは」と、まず一発、さらに銀座のパレードで歓声にこたえ、絹代が投げキッスしたことで、新聞の怒りと嘲笑が最高潮に達し、「アメリカかぶれ」「ぞっとする不潔な印象だった」と、異口同音の中傷記事が紙面に躍ったのでした。
   鬼畜と呼んで憎んだかつての敵国軍を笑顔で迎え、ジープに手を振る屈辱の四年がすぎていました。日本人の屈折した思いが、絹代の投げキッスを見て爆発したのでしょうか。しかもその罵声はエスカレートして、40歳の絹代に向って「老醜の浮かぶ顔」などと、女優が最も気にしていることを投げつけたのです。あと次回。                          
                                                                           (古川 薫)