名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記166 「事実」と「真実」
つぶや記 166
「事実」と「真実」
「おもしろきこともなき世をおもしろく」
これは広く知られている高杉晋作の辞世です。晋作が臨終近いころ詠み遺したものとされています。野村望東尼が下の句を付けていますが、晋作のこの上の句だけで独立した辞世とみることができます。
ところで、こないだ福岡市で野村望東尼のシンポジウムがあり、パネラーとして参加しました。そのとき望東尼の研究家がおられて、「おもしろきこともなき世を」というのは、高杉のオリジナルの辞世ではないと言われる。安政年間、望東尼が「おもしろきこともなきよと思ひしは花見ぬひまのこころなりけり」という和歌を詠んでいる。だから望東尼が「すみなすものはこころなりけり」と下の句を付けたというのはウソで、全面望東尼の歌だと、言いたいらしいのです。
「おもしろきこともなき世」は、もしかしたら歌の常套句だったのかもしれず、つまり面白くない世のなか、いつの世にも人々が心に抱いている不幸感を、そのように表現してきたか、あるいはそれが望東尼独自の言葉であったとしても、おもしろくなき世を「おもしろく」と付けたところが、晋作の面目躍如であり、やはり彼の辞世とするに異論をさしはさむ余地はないといえます。
またその研究家によると、福岡に亡命してきた高杉晋作を、望東尼が直接平尾山荘に迎えて庇護した事実はない。晋作があらわれた1864(元治元)年当時、望東尼は山荘にいなかったというのです。
研究家と称する人々が、新資料をかざして、あれは違う、これはウソだと全否定し、語り育ててきた歴史ロマンを突き崩しているのは、いかがなものか。事実は明らかにしなければならぬとの仰せでしょうが、長い歳月にわたり民衆が信じてきたことは、それも真実というものではないのか。こんどのシンポジウムでは、そのほかの「事実」と「真実」をめぐり、大いに異見を述べてきました。
(古川 薫)