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名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記96 新年武装の登城

つぶや記 96
  新年武装の登城

   長州萩城で、新年の秘儀がおこなわれたことは、つとに有名な話になっていますが、どうやら史実ではないらしいのです。
   元日、萩城の大広間。上席家老が殿様の前にうやうやしく進み出て、「いかがでござりましょうや、今年こそは」と言上する。即座に殿様答えて曰く。「いや待て、時期尚早である」
   藩史への公式記録などもってのほかと厳重に秘密を守ったとしても、だれかが私的な記録を作って後世に伝えたはずですが、それらしい形跡はまったくありません。
   薩摩は早くに「チェスト!関ヶ原」(関ヶ原を忘れるな)という剣術示現流の掛け声となり、幕府からひどく咎められて、慌てた藩が詫びの使者を江戸に送ったことは事実らしいのですが、いかにも陽性な薩摩隼人の気質をあらわした話であります。とすれば萩城のは陰湿な長州人気質をあらわしていることになります。陰湿というのはあまりうれしくありませんね。
   関ヶ原の理不尽な戦後処理に関連して、幕府にたいする長州人の怨念が、倒幕のエネルギーになったのは確かですから、萩城の新年秘儀はまことによく出来た話です。
   幕府への対決姿勢をあきらかにした文久3年(1863)の元旦、群臣が甲冑に身をかためて登城したことは、『防長回天史』にも書かれています。秘義話の源流はそれかもしれません。
   ひるがえって、皆さま今年の元旦はいかがでござりましたか。首相を先頭に、増税々々と勇ましい掛け声の響きわたる中で迎えるお正月であってみれば、無辜(むこ)の国民たる者、甲冑を着て雑煮を食べたい心境、それは史実であります。 
                                                                              
(古川 薫)