名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記214 宇宙の果てまで飛耳長目

つぶや記 214
  宇宙の果てまで飛耳長目

   少年のころ学校の先生から「太陽系宇宙は凸レンズの形をしている。その大きさは直径20万光年、厚さ5万光年」と教えられました。
   じゃあ、その果てには何があるのか。またその向こうに似たような宇宙が隣りあわせているんだろうかと、際限もない想像をめぐらせてきました。
   最近になって、ある有名な天文学者に「宇宙の果てってあるのですか」と質問してみました。解答はチンプンカンプン、要するによくわからない。東京の国立科学博物館には、宇宙の質問箱というのがあって、同様の質問が多いそうです。その答えは「宇宙は膨張している。それは光の速さより早い速度で膨張している・・・・・・」
   光の速さより早い速度で膨張しているから、われわれ3次元の世界に暮らしている人間には見極めることができないということですか。
   これは「時間ってなんですか」という問いに似ています。人間を少年から青年へ、さらに老人へ、そして死へ導く時間という目にみえない摩訶不思議なものが「ある」のです。いま山口大学で、この「時間」を追求する研究が進んでいると聞きました。いつか聴講したいと思っています。
   さて宇宙に果てはあるのかという問いに関わる最近のニュースは、アメリカのNASA(航空宇宙局)が、無人探査機ニューホライズンズによる冥王星撮影の画像発表がありました。
   地球から楕円軌道の冥王星までの距離は48億キロ~54億キロ、電波がとどく時間は5時間です。電波は秒速30万キロ(地球を7周半)です。電波と光の速さの比較は厄介ですが、大ざっぱに言っておなじと考えてよいでしょう。
   直径20万光年の宇宙の中では、冥王星など地球からよほど近いところにある星ですが、電波(光)で5時間といえばやはり気の遠くなる距離です。その星の表面のデコボコを写した写真を見ることができるまでに科学は発展したんだなという感慨があります。
   ところでNASAの無人探査機ニューホライズンズが冥王星に接近したというニュースを聞いて吉田松陰の「飛耳長目」を連想しました。松下村塾には「飛耳長目」と表書きした帳面が備えてあったそうです。内外のできごとを書き写したもので松陰の情報教育の一端を示していますが、「飛耳長目」は松陰のオリジナルではなく、古代中国の書籍にある言葉です。「一日長目、二日飛耳、三日樹明、知千里之外、隠微之中」(管子)とは、居ながらにして状況を見通す力、学問の道、物事の観察に敏感であれという教えです。望遠鏡や探査機によらずとも、飛耳長目の人間力を養うというのも松陰の教えでした。 
                                                                               (古川 薫)