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名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記180 赤トンボの墓

つぶや記 180
赤トンボの墓

   沖縄宮古島に行ってきました。島は琵琶湖ほどの広さで、リゾート地として開発されており、ちょっとしたミニ・ハワイのおもむきがあります。むろんわたくしの渡島目的は、観光ではなく、この島に遺る戦跡取材です。
  終戦直前の昭和20年7月29日、神風特攻龍虎隊の7機が出撃、沖縄本島沖に集結した米艦隊に突入、19歳から20歳の若者が散華しました。特攻といえばすぐにゼロ戦を連想しますが、龍虎隊は赤トンボの愛称で知られる練習機です。わたくしは戦前、航空機会社で赤トンボ「九三式中間練習機」の製作に従事した経験があります。
  特攻戦には陸海軍ともあらゆる機種の戦闘機を投入しましたが、戦争末期最終段階の沖縄戦では、全特攻機が米軍に撃墜され、絶望的な窮余の一策として赤トンボに250キロ爆弾をくくりつけて出撃させたのです。
  島にはその操縦士7人の慰霊碑がありますが、たとえば鹿児島の知覧のような立派な記念館などはなく、町はずれの小高い丘の上に、戦友たちの手で建てられた質素な石碑があるだけです。それがいわば赤トンボの墓といえるものです。「つわものどもの哀しい夢の跡」は観光マップにも記載されていません。碑のまわりには生い茂る夏草のなかにひとつブーゲンビレアの花が咲いていました。即興の散文詩ができましたので書きとめておきます。

 

  赤トンボのつばさ

  青春って、美しく悲しいものですね。
  赤トンボの羽を左右にふりながら
  戦場めざして、みんなそのようにして行ったのですか。
  エメラルドの海にかこまれた砂糖黍畑の孤島の空の果てに、
  笑顔で散った若桜のあなた。

  木枠と布張りの練習機、聖なる赤トンボの翼の下に、
  250キロ爆弾を抱いて、異国の軍艦に体当たりせよと
  陸上のデスクから命じたのは誰ですか。
  それでも幼い面影をとどめた若鷲の瞳は輝くのです。

  背を丸め操縦桿を押し倒し、消滅点への急降下。
  父よ、母よ、弟よ、妹よ、恋人よ。
  万感の思いを絶ってまっしぐら、エメラルドの海を血に染めて、
  あなたの短い人生は終わったのですか。
  ああ君死に給うことなかれ! ああ、あなたは神風龍虎隊の少年戦士。
  誉れは永遠にブーゲンビレア咲き乱れる島の上空を、
  祖国の蒼穹を翔びつづけるのです。

                                                                                            (古川 薫)