田中絹代について

私、映画と
結婚しました。

   

日本映画の新しい時代を切り開き、今もなお日本映画史に輝く女優、田中絹代。
その六七年の生涯は、女優として生きる道にひたむきに挑み続けた一人の女性の歴史であり、日本映画史を物語るものでもあります。
その生涯を映画に生きた、田中絹代の人生をご紹介します。

田中絹代顔写真

田中絹代について

I have
married the movies.

Kinuyo Tanaka, an actress who paved the way for a new era of Japanese cinema and continues to shine in its history.
Her 67-year life tells the story of a woman who devotedly pursued a career as an actress, and it also reflects the history of Japanese cinema.
We introduce the life of Kinuyo Tanaka, a woman who lived through and for film.

田中絹代顔写真

田中絹代顔写真

田中絹代誕生

1900年〜1923年

田中絹代誕生

1909年11月29日、山口県下関市に生まれる。裕福な家庭だったが父が病死し、家計が悪化。
大阪への移住し「琵琶少女歌劇」への入団、活動を通して映画女優を志す。

明治42年
(1909年)

田中絹代、誕生

11月29日、山口県下関市丸山町に生まれる。

大正5年
(1916年)

下関市立王江尋常小学校に入学。
この頃から、琵琶を習う。

大正6年
(1917年)

大阪への移住と新たな出会い

生活に困窮し、母方の伯父 小林安太郎のすむ大阪市天王寺へ移住。
その後、天王寺尋常小学校三年に編入。
新たに筑前琵琶の師匠 宮崎錦城につく、小学校を退学。

大正8年
(1919年)

「琵琶少女歌劇」に入団し、スターとして活躍

琵琶の免状を受け、「田中絹城」を名乗る。
師の主宰する「琵琶少女歌劇」に入団し、楽天地の舞台で活躍。地方興業が成功してスター的な存在となる。

大正10年
(1921年)

女優へのあこがれ

映画「虞美人草」を見て栗島すみ子にあこがれ、女優への夢を抱く。

躍進期

1924年〜1934年

絹代 女優デビュー
清純派スターとしての躍進期

それまで女優に絶対必要条件と思われてきた美人性に対し、嫌みのないありふれた愛らしさとひたむきに演ずるアピール性が認められ、その魅力が映画を通じて、『身近な清純派ヒロイン』という親近感につながり、大衆の爆発的人気を呼ぶことになった。

1924年〜1934年
出演作品
+

大正13年
(1924年)

映画初出演

9月、京都の松竹下加茂撮影所に入所。
反対する母ヤスを伯父の安太郎が説得。
野村芳亭監督「元禄女」で犬の腰元役で出演し、次いで新進監督清水宏の「村の牧場」に出演。

元禄女

「元禄女」ワンシーン

村の牧場

             

「村の牧場」ワンシーン

       
       
大正14年
(1925年)

松竹蒲田への移籍と成功

6月、野村・清水両監督の勧めにより東京の松竹蒲田撮影所へ移籍。
移籍後翌年、出演した六作品への出演が評価され、松竹準幹部に昇進。

昭和2年
(1927年)

「試験結婚」の始まり

新進の五所平之助監督の「恥しい夢」に出演。
この頃、清水宏監督の求婚を受けて、”試験結婚”と称する同棲生活に入る。

恥しい夢

             

「恥しい夢」ワンシーン

昭和3年
(1928年)

絹代の人気と多忙な出演活動

松竹は絹代の人気を認め、男優トップスターの鈴木博明と気鋭の牛原虚彦監督のとのトリオによる「近代武者修行」「彼と田園」などのヒット作が続く。
この年、自己最多の年間15本の作品に出演。

近代武者修行

「近代武者修行」ワンシーン

彼と田園

「彼と田園」ワンシーン

昭和4年
(1929年)

映画界での昇進と清純派スターの確立

正月、松竹の幹部に昇進。新進の小津安二郎監督「大学は出たけれど」に出演。清純派人気スターの座を確保。
清水監督との”試験結婚”破局。

昭和6年
(1931年)

オールトーキー映画出演

松竹初のオールトーキー映画「マダムと女房」(監督 五所平之助)に出演。心配されていた絹代の下関なまりがかえって魅力となり評判となる。

マダムと女房

「マダムと女房」ワンシーン

1924~1934 出演作品
作品名
元禄女 大正13年 (1924年)
村の牧場 大正13年 (1924年)
小さき旅芸人 大正14年 (1925年)
激流の叫び 大正14年 (1925年)
勇敢なる恋 大正14年 (1925年)
自然は裁く 大正14年 (1925年)
一心寺の百人斬 大正14年 (1925年)
恋の捕縄 大正14年 (1925年)
落武者 大正14年 (1925年)
御意見御無用 大正14年 (1925年)
悩ましき頃 大正15年 (1926年)
街の人々 大正15年 (1926年)
あら!呑気だね 大正15年 (1926年)
お坊ちゃん 大正15年 (1926年)
奔流 大正15年 (1926年)
裏切られ者 大正15年 (1926年)
恋と意気地 大正15年 (1926年)
妖刀 大正15年 (1926年)
カラボタン 大正15年 (1926年)
清水の次郎長 全伝・後篇 大正15年 (1926年)
彼女(春のめざめ) 大正15年 (1926年)
閃く刃 大正15年 (1926年)
暗闘 昭和2年 (1927年)
地下室 昭和2年 (1927年)
奴の小万 昭和2年 (1927年)
天王寺の腹切り 昭和2年 (1927年)
高田の馬場 昭和2年 (1927年)
恥しい夢 昭和2年 (1927年)
魔道 昭和2年 (1927年)
国境の唄 昭和2年 (1927年)
真珠夫人 昭和2年 (1927年)
白虎隊 昭和2年 (1927年)
悲願千人斬 昭和2年 (1927年)
むささびの三吉 昭和2年 (1927年)
夜の強者 昭和2年 (1927年)
木曽心中 昭和2年 (1927年)
近代武者修行 昭和3年 (1928年)
若しも彼女が 昭和3年 (1928年)
海国記 昭和3年 (1928年)
村の花嫁 昭和3年 (1928年)
感激時代 昭和3年 (1928年)
不滅の愛 昭和3年 (1928年)
永遠の心 昭和3年 (1928年)
鉄の処女 昭和3年 (1928年)
天晴れ美男子 昭和3年 (1928年)
人の世の姿 前篇・後篇 昭和3年 (1928年)
彼と田園 昭和3年 (1928年)
御苦労様 昭和3年 (1928年)
陸の王者 昭和3年 (1928年)
輝く昭和 昭和3年 (1928年)
青春交響楽 昭和3年 (1928年)
森の鍛冶屋 昭和4年 (1929年)
越後獅子 昭和4年 (1929年)
彼と人生 昭和4年 (1929年)
雲雀なく里 昭和4年 (1929年)
作品名
大都会・労働篇 昭和4年 (1929年)
新女性鑑 昭和4年 (1929年)
陽気な唄 昭和4年 (1929年)
大学は出たけれど 昭和4年 (1929年)
山の凱歌 昭和4年 (1929年)
鉄拳制裁 昭和5年 (1930年)
進軍 昭和5年 (1930年)
青春譜 昭和5年 (1930年)
落第はしたけれど 昭和5年 (1930年)
微笑む人生 昭和5年 (1930年)
女は何処へ行く 昭和5年 (1930年)
大森林 昭和5年 (1930年)
大都会・爆発篇 昭和5年 (1930年)
巨船 昭和5年 (1930年)
絹代物語 昭和5年 (1930年)
愛欲の記 昭和5年 (1930年)
若者よなぜ泣くか 昭和5年 (1930年)
お嬢さん 昭和5年 (1930年)
愛よ人類と 共にあれ 前後編 昭和6年 (1931年)
朗かに泣け 昭和6年 (1931年)
姉妹・前後篇 昭和6年 (1931年)
マダムと女房 昭和6年 (1931年)
ルンペンとその娘 昭和6年 (1931年)
島の裸体事件 昭和6年 (1931年)
生活線ABC 前篇・後篇 昭和6年 (1931年)
金色夜叉 昭和7年 (1932年)
勝敗 昭和7年 (1932年)
兄さんの馬鹿 昭和7年 (1932年)
銀座の栁 昭和7年 (1932年)
太陽は東より 昭和7年 (1932年)
撮影所ロマンス・ 恋愛案内 昭和7年 (1932年)
輝け日本の女性 昭和7年 (1932年)
恋の東京 昭和7年 (1932年)
青春の夢いまいづこ 昭和7年 (1932年)
忠臣蔵・前後篇 昭和7年 (1932年)
花嫁の寝言 昭和8年 (1933年)
伊豆の踊子 昭和8年 (1933年)
東京の女 昭和8年 (1933年)
応援団長の恋 昭和8年 (1933年)
非常線の女 昭和8年 (1933年)
晴曇 昭和8年 (1933年)
結婚街道 昭和8年 (1933年)
嫁入り前 昭和8年 (1933年)
沈丁花 昭和8年 (1933年)
双眸 昭和8年 (1933年)
東洋の母 昭和9年 (1934年)
婦系図 昭和9年 (1934年)
さくら音頭 昭和9年 (1934年)
地上の星座 前後篇 昭和9年 (1934年)
新婚旅行 昭和9年 (1934年)
街の暴風 昭和9年 (1934年)
お小夜恋姿 昭和9年 (1934年)
その夜の女 昭和9年 (1934年)
私の兄さん 昭和9年 (1934年)
1946~1955 出演作品
作品名
ニコニコ大会・歌の花籠第1篇 昭和21年(1946年)
彼女の発言 昭和21年(1946年)
女性の勝利 昭和21年(1946年)
歌麿をめぐる五人の女 昭和21年(1946年)
結婚 昭和22年(1947年)
女優須磨子の恋 昭和22年(1947年)
不死鳥 昭和22年(1947年)
夜の女たち 昭和23年(1948年)
風の中の牝雞(めんどり) 昭和23年(1948年)
我が恋は燃えぬ 昭和24年(1949年)
新釈・四谷怪談前篇・後篇 昭和24年(1949年)
眞晝の円舞曲 昭和24年(1949年)
婚約指環(エンゲージリング) 昭和25年(1950年)
宗方姉妹 昭和25年(1950年)
奥様に御用心 昭和25年(1950年)
おぼろ駕籠 昭和26年(1951年)
銀座化粧 昭和26年(1951年)
お遊さま 昭和26年(1951年)
夜の未亡人 昭和26年(1951年)
武蔵野夫人 昭和26年(1951年)
愛染橋 昭和26年(1951年)
稲妻草紙 昭和26年(1951年)
作品名
西陣の姉妹 昭和27年(1952年)
西鶴一代女 昭和27年(1952年)
安宅家の人々 昭和27年(1952年)
おかあさん 昭和27年(1952年)
秘密 昭和27年(1952年)
まごころ 昭和28年(1953年)
煙突の見える場所 昭和28年(1953年)
雨月物語 昭和28年(1953年)
新書太閤記・流転日吉丸 昭和28年(1953年)
獅子の座 昭和28年(1953年)
恋文 昭和28年(1953年)
山椒大夫 昭和29年(1954年)
女の暦 昭和29年(1954年)
噂の女 昭和29年(1954年)
月は上りぬ 昭和30年(1955年)
渡り鳥いつ帰る 昭和30年(1955年)
少年死刑囚 昭和30年(1955年)
月夜の傘 昭和30年(1955年)
王将一代 昭和30年(1955年)
乳房よ永遠なれ 昭和30年(1955年)

演技派スター
確立期

1935年~1945年

戦前大船時代

若さの魅力と美しさだけを売り物とするスター性にあきたらず、ドラマの芸術性と関わる志向を強め「春琴抄・お琴と佐助」の演技開眼や様々な作品を通して、スター性を維持しながら演技は女優として大きく飛躍した。

1935年〜1945年
出演作品
+

昭和10年
(1935年)

トップスター昇進と演技力開眼

正月、大幹部に昇進。名実ともにトップスターとなる。
島津保次郎監督「春琴抄・お琴と佐助」に出演。
盲目のお琴役で演技開眼。

春琴抄・お琴と佐助

「春琴抄・お琴と佐助」ワンシーン

昭和12年
(1937年)

若手俳優との共演からの人気の変化

松竹の新進スターで三羽烏と称された、上原謙、佐野周二、佐分利信との共演が続くが、若い女優の台頭で人気に陰りが見え始める。

昭和13年
(1938年)

愛染かつらの大ヒットで人気復活

「愛染かつら」が空前の大ヒット。
「花も嵐も踏み越えて~」の主題歌と共に、広く日本中の話題となり一気に人気を取り戻す。トップスターの座を維持。

愛染かつら

「愛染かつら」ワンシーン

昭和15年
(1940)

深まる女優への自信

京都下加茂で念願の溝口健二監督「浪花女」に出演。
厳しい注文に答え、女優としての自信を深める。
その翌年以降、戦時体制下の制約が多く、出演作品が数本に留まる。

浪花女

「浪花女」ワンシーン

1935~1945 出演作品
作品名
箱入り娘 昭和10年(1935年)
母の愛 愛児編・苦闘編 昭和10年(1935年)
春琴抄 お琴と佐助 昭和10年(1935年)
夢うつゝ 昭和10年(1935年)
永久の愛 前後篇 昭和10年(1935年)
せめて今宵を 昭和10年(1935年)
人生のお荷物 昭和10年(1935年)
花嫁くらべ 昭和10年(1935年)
お夏清十郎 昭和11年(1936年)
男性対女性 昭和11年(1936年)
新道・朱実の巻 昭和11年(1936年)
新道・良太の巻 昭和11年(1936年)
わが母の書 昭和11年(1936年)
花籠の歌 昭和12年(1937年)
女医絹代先生 昭和12年(1937年)
男の償ひ 前篇・後篇 昭和12年(1937年)
番町皿屋敷 昭和12年(1937年)
暁は遠けれど 昭和12年(1937年)
鼻唄お嬢さん 昭和13年(1938年)
出発 昭和13年(1938年)
母と子 昭和13年(1938年)
愛染かつら 前後篇 昭和13年(1938年)
母の歌・前後篇 昭和13年(1938年)
新釈 唐人お吉・焚身篇 昭和13年(1938年)
お加代の覚悟 昭和14年(1939年)
南風 昭和14年(1939年)
春雷・前後篇 昭和14年(1939年)
続・愛染かつら 昭和14年(1939年)
花ある雑草 昭和14年(1939年)
桑の実は紅い 昭和14年(1939年)
愛染かつら 完結篇 昭和14年(1939年)
愛染椿 昭和15年(1940年)
私には夫がある 昭和15年(1940年)
絹代の初恋 昭和15年(1940年)
作品名
暁に祈る 昭和15年(1940年)
女性の覚悟 第一部純情の花・第二部犠牲の歌 昭和15年(1940年)
浪花女 昭和15年(1940年)
舞台姿 昭和15年(1940年)
お絹と番頭 昭和15年(1940年)
十日間の人生 昭和16年(1941年)
元気で行かうよ 昭和16年(1941年)
花 前後篇 昭和16年(1941年)
昭和16年(1941年)
女医の記録 昭和16年(1941年)
家族 昭和17年(1942年)
日本の母 昭和17年(1942年)
或る女 昭和17年(1942年)
開戦の前夜 昭和18年(1943年)
敵機空襲 昭和18年(1943年)
坊ちゃん土俵入り 昭和18年(1943年)
団十郎三代 昭和19年(1944年)
還って来た男 昭和19年(1944年)
陸軍 昭和19年(1944年)
宮本武蔵 昭和19年(1944年)
必勝歌 昭和20年(1945年)
三十三間堂 通し矢物語 昭和20年(1945年)

円熟開花期

1946年~1955年

戦前大船時代

戦後は早々に日本映画の復興の旗手となった小津安二郎、溝口健二、木下恵介ら気鋭・新進監督の作品に連続出演し、新設された映画コンクールの女優演技賞を2年連続で受賞。
一時低迷期を迎えるが間もなく立ち直り、充実した代表作が並ぶ。

1946年〜1955年
出演作品
+

昭和22年
(1947年)

毎日映画コンクール最初の演技賞受賞

木下恵介監督の「結婚」、溝口監督の「女優須磨子の恋」などの演技が高く評価され、毎日映画コンクール最初の女優演技賞を受賞。

結婚

「結婚」ワンシーン

女優須磨子の恋

           

「女優須磨子の恋」ワンシーン

昭和23年
(1948年)

前年に引き続く演技賞受賞

戦後混乱期の女性の受難を描いた溝口監督の「夜の女たち」、小津監督の「風の中の牝雞」の二作品で、前年に続き毎日映画コンクール女優演技賞を受賞。

夜の女たち

「夜の女たち」ワンシーン

風の中の牝雞

「風の中の牝雞」ワンシーン

昭和24年
(1949年)

日米親善芸術使節としてのハリウッド交流

日米親善芸術使節として、ハワイ・アメリカへ旅立ち、ハリウッドでは数多くの著名スターと交流。

ハリウッドでの交流

左:ジョン・ウェインと 右:ベティ・デイビスと

昭和25年
(1950年)

スランプの始まり

来国仕込みの大胆なメイクや衣装でパレードを行い、投げキッスをしてマスコミの激しい反発を買う。
また、出演優先権をめぐる騒動に巻き込まれ、出演作の不評も続き、深刻なスランプに陥る。

ハワイ到着パレード

ハワイ到着パレード

昭和27年
(1952年)

絹代の代表作の一つ「西鶴一代女」出演

溝口監督が、長年絹代のために温存してきた企画「西鶴一代女」に主演。代表作の一つとなる。
その作品は、ヴェネチア国際映画祭で国際賞を受賞。

西鶴一代女

「西鶴一代女」ワンシーン

昭和27年
(1953年)

監督業に挑戦

映画監督として「恋文」を撮影。
これから十年の間に「月は上りぬ」「乳房よ永遠なれ」「流転の王妃」「夜の女たち」「お吟さま」を撮り上げ、女優としての新たな可能性を切り拓いた。

恋文

「恋文」撮影現場

老成期

1956年〜1977年

戦前大船時代

年齢的にも主演の本数は少なくなったものの、「三婆」「サンダカン八番娼館・望郷」など、「老いを武器にした」と評価される作品に出演し、日本映画界に新しい可能性をもたらした。
「幼い」とも言えた若い頃から、「老成」と称される年齢まで。女優として大成し、監督としても6本の作品に挑み、映画界の第一線を走り続けた絹代の生き様は今、国内にとどまることなく、世界で評価されている。

1956年〜1977年
出演作品
+

昭和35年
(1960年)

市川崑監督「おとうと」に出演。
毎日映画コンクールで女優助演賞を受賞。

おとうと

「おとうと」ワンシーン

昭和45年
(1970年)

テレビ初出演

NHK大河ドラマ「樅の木は残った」でテレビ初出演。

樅の木は残った

「樅の木は残った」ワンシーン

昭和49年
(1974年)

老婆役の迫真の演技

中村登監督「三婆」、熊井啓監督「サンダカン八番娼館・望郷」の老婆役が迫真の演技で絶賛され、各種演技賞と共に芸術選奨文部大臣賞を受賞。

三婆

「三婆」ワンシーン

サンダカン八番娼館・望郷

「サンダカン八番娼館・望郷」ワンシーン

昭和50年
(1975年)

ベルリン国際映画祭に出品された「サンダカン八番娼館・望郷」で銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞。

昭和51年
(1976年)

映画では、増村監督「大地の子守歌」、テレビでは東芝日曜劇場「幻の町」とNHK「雲のじゅうたん」のナレーターが最後の出演作品となった。

大地の子守歌

「大地の子守歌」ワンシーン

幻の町

「幻の町」ワンシーン

昭和52年
(1977年)

大勢のファンに見送られる

体調を崩し入院。三月二十一日、脳腫瘍のため永眠。
三月三十一日、築地本願寺において、映画放送人葬が執り行われ、五千人の参列者が絹代を見送った。

お葬式の様子

1956~1977 出演作品
作品名
色ざんげ 昭和31年(1956年)
雑居家族 昭和31年(1956年)
病妻物語・あやに愛しき 昭和31年(1956年)
女囚と共に 昭和31年(1956年)
昭和31年(1956年)
流れる 昭和31年(1956年)
黄色いからす 昭和32年(1957年)
異母兄弟 昭和32年(1957年)
「太夫さん」より・女体は哀しく 昭和32年(1957年)
地上 昭和32年(1957年)
悲しみは女だけに 昭和33年(1958年)
楢山節考 昭和33年(1958年)
彼岸花 昭和33年(1958年)
この天の虹 昭和33年(1958年)
母子草 昭和34年(1959年)
素晴らしき娘たち 昭和34年(1959年)
太陽に背く者 昭和34年(1959年)
浪花の恋の物語 昭和34年(1959年)
日本誕生 昭和34年(1959年)
流転の王妃 昭和35年(1960年)
おとうと 昭和35年(1960年)
別れて生きるときも 昭和36年(1961年)
女ばかりの夜 昭和37年(1962年)
放浪記 昭和37年(1962年)
殺陣師段平 昭和37年(1962年)
かあさん長生きしてね 昭和37年(1962年)
お吟さま 昭和37年(1962年)
結婚式・結婚式 昭和37年(1962年)
作品名
死闘の伝説 昭和38年(1963年)
太平洋ひとりぼっち 昭和38年(1963年)
光る海 昭和38年(1963年)
香華 昭和39年(1964年)
この空のある限り 昭和39年(1964年)
母の歳月 昭和40年(1965年)
赤ひげ 昭和40年(1965年)
二人の星 (TV) 昭和41年(1966年)
桃太郎侍 (TV) 昭和42年(1967年)
樅の木は残った (TV) 昭和45年(1970年)
明日のしあわせ (TV) 昭和45年(1970年)
女人平家 (TV) 昭和46年(1971年)
男はつらいよ・寅次郎夢枕 昭和47年(1972年)
たった一人の反乱 (TV) 昭和48年(1973年)
じゃあね (TV) 昭和49年(1974年)
三婆 昭和49年(1974年)
りんりんと (TV) 昭和49年(1974年)
サンダカン八番娼館・望郷 昭和49年(1974年)
ある映画監督の生涯 溝口健二の記録 昭和50年(1975年)
おれの行く道 昭和50年(1975年)
前略おふくろ様 (TV) 昭和50年(1975年)
三十年目の除夜の鐘 (TV) 昭和50年(1975年)
幻の町 (TV) 昭和51年(1976年)
惜春の歌 (TV) 昭和51年(1976年)
北の岬 昭和51年(1976年)
大地の子守歌 昭和51年(1976年)
前略おふくろ様 (TV)第二部 昭和51年(1976年)
雲のじゅうたん(TV)ナレーター 昭和51年(1976年)