名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記160 幻聴蝉しぐれ

つぶや記 160
  幻聴蝉しぐれ

   昭和20年(1945)8月15日は、いまから68年前の夏です。そのままの元号でいえば、今年は昭和88年です。その年20歳だった者は、88歳の米寿を迎えているわけですが、わたくしもそのひとりであります。
   ことし昭和88年は、核保有国による地下核実験競争で、地球にヒビが入った―専門用語でいうと”クラックが入る”という―ためか、地殻崩壊の前兆をみせて、年々異常気候がひどくなり、「経験したことのないゲリラ豪雨」など耳新しい気象用語が飛び交います。つい先日は突然ケイタイがけたたましい警戒警報を発したりして、肝を冷やしました。
   68年前の8月15日も酷暑で、敗戦の玉音放送を汗まみれでうな垂れ聞いたのを、きのうのことのように憶えています。
それにもうひとつ記憶に残っているのは、蝉しぐれです。
   わたくしがいた兵庫の航空隊の営庭のぐるりには桜の木が植えてありましたが、葉桜となった植え込みにびっしり蝟集したミンミン蝉の合唱が頭蓋のなかに響きわたり、それが68年後の今も鳴りつづけているのです。
わたくしが住んでいる下関市長府羽衣町で、初蝉の声を聴くのは例年7月14日、無縁のことですがパリ祭の日です。その日から、わたくしの頭蓋で「ジー」と低くひしめく蝉しぐれが始まります。分かっていますよ、それは老人性の耳鳴りなのですが、あたりがしずまり耳をすますと意識され、広島原爆記念日、つづいて長崎原爆記念日、そして8月15日に至って、現実の蝉しぐれと、幻聴の蝉しぐれが合体して、わたくしの頭蓋地球にクラックの数を増やすのであります。
                                                                              (古川 薫)