名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記143 終末の日
つぶや記 143
終末の日
前田博司氏(下関市在住史家)からいただいた通信にこんなことが書いてありました。
「古代マヤの石碑に刻まれた暦によると、終末の日は2012年の12月23日に当たる。このことは、グラハム・ハンコックの『神々の指紋』に紹介されている(上巻132,216ページ)。
・・・・・・ロング・カウントと呼ばれる大周期の第5世代(今回は5125年)の最期を指しているのだという」
フランスの占星術師のノストラダムスの「大予言」なるものがあって、この世の終末が興味的に取りざたされされましたが、的中した例はありません。終末の日はともかく、予言があたることは稀にあるわけで、日本史には織田信長の横死を予言した安国寺恵瓊(えけい)という戦国時代の僧が登場します。毛利氏の外交僧となり、関ヶ原合戦前夜に暗躍した”妖僧”として知られました。
彼は天正元年(1673)12月12日付の書状を吉川広家あてに出し「(織田信長は)明年あたりは公家などにならるべく候かと見及び申し候。さ候て後、高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申し候」と書いています。信長が京都の本能寺で、明智光秀に攻め殺される10年も前に預言したのです。このことが有名となり預言の超能力を備えた”妖僧”として、毛利氏から絶大な信頼を得たのですが、彼の強い進言にしたがって西軍についた毛利輝元は敗軍の将となって転落しています。恵瓊は予言能力など持ちあわせてはいなかった。織田信長の度外れた言動を見て、その終末を予想しただけのことです。
予言があてにならぬとすれば、終末の日など世迷いごとにすぎないといえますが、世の中には偶然か必然か、想定外のアクシデントに襲われる事態が絶対にないとは断定できないので、とにかく12月23日を、それとなく待っておくことにします。ちなみに唐戸魚市場の日めくりカレンダーによると12月23日は、日曜日・天皇誕生日・つちのようま・六白先負・二十八宿は「星」・争い事生じ易き日・馬乗り始め・療始め等よしとあります。念のため。
(古川 薫)