名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記141 和田日出吉のこと

つぶや記 141
  和田日出吉のこと

   装丁家にして作家・司修さんの近著『孫文の机』(白水社)は、大野五郎という画家が使っていた孫文の机をめぐる3人の男の運命を追う重厚な評伝です。
   著者からいただいたこの本を、仕事の合間に少しずつ読むつもりでいたのですが、下関に関わる話でもあるので、引き込まれて一気に読了しました。
   登場する1人和田日出吉は、二・二六事件(昭和11年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らが国家改造・統制派打倒をめざし、1500余名の部隊をひきいて首相官邸などを襲撃したクーデター)の事件現場に一番乗りした新聞記者で、彼が下関出身の大女優・木暮実千代の夫であることは、あまり知られていません。
   決起した将校の中心人物・栗原安秀中尉と親しくしていたので、要人殺害の直後、首相官邸に乗り込むのを許され、凶行のあとを真っ先に目撃しました。日出吉は岡田首相の遺体が安置された寝室を覗いていますが、近づいて顔を確かめなかったので、それが誤認された人物だったことに気づきませんでした。しかし事件は勤めていた「中外商業新報」(のちの日本経済新聞)の生々しい特ダネ記事として精彩を放ちました。本も書いています。
   木暮実千代の本名は和田つまですから、日出吉は和田家の養子ということになりますが、彼の旧姓は大野です。栃木県下都賀郡谷中村の村長まで努めた大野家に生まれた9人兄弟の2男が日出吉、4男が四郎(中原中也らと活動した詩人・逸見猶吉)、5男が画家の大野五郎です。
   和田日出吉と逸見猶吉が、大野姓を隠した理由は、足尾銅山鉱毒事件で水没させられた谷中村と深い関わりがあります。それについては司修著『孫文の机』、あるいは平成19年に刊行された黒川鐘信著『木暮実千代』にくわしく書かれています。
   木暮実千代と二・二六事件、足尾銅山鉱毒事件が不思議にむすびつく縁とは異なものですが、木暮自身と何の関係もないことはもちろんです。
                                                                              (古川 薫)