名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記138 わが心の人諏訪根自子①
つぶや記 138
わが心の人諏訪根自子①
「わが心の人」などというとキザになりますが、やはりそう呼ばずにはおれない人です。かつて天才いや神童とうたわれたヴァイオリニスト諏訪根自子さんが3月に亡くなっていたことが分かったという記事を、最近朝日新聞で読みました。
私事にわたることで、もう何度か打ち明けた話ですが、わたくしは昭和22年(1947)の春ごろ、山口市で諏訪さんを遠くからながめたことがあります。大正9年生れの彼女は、そのとき27歳のはずです。3歳でヴァイオリンをはじめ、ロシアの名教育者といわれた小野アンナらに師事、巨匠ジンバリストに高く評価され、12歳でデビュー、「天才少女」とうたわれた彼女のことは、わたくしらが少年のころから知っていました。
16歳の昭和11年(1936)、ベルギーに留学しますが、翌年には日独伊防共協定成立、天才少女・諏訪根自子はナチス・ドイツから大歓迎をもって迎えられ、「日独友好」の政略に引き込まれていきます。フランスをめざした志とは違うものとなりますが、ベルリン・フィルでの活躍は彼女の芸術にとって無意味ではありませんでした。
昭和18年、ベルリン滞在中の諏訪根自子に、ナチス宣伝相ゲッペルスが、ストラディヴァリウスを贈呈しています。この名器を持つ者といえば、ジンバリスト、ハイフェッツ、エルマンら世界一流アーティストにかぎられるといわれているだけに、衝撃的ニュースが日本でも大きく報じられました。
ヴァイオリニストでもないゲッペルスが、どうしてそのような名器を持っていたか、という詮索は戦後になってからのことです。「ナチスがユダヤ人から徴発したものではないか、ドイツ政府を通じて返還すべきだ」という声もあがりました。戦後のパリ脱出、アメリカ強制収容の間も、このストラディヴァリウスを大事に持ち歩いた根自子は、決して手放すものではありませんでした。
- 話が長くなるので、あと次回とします。
(古川 薫)