名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記111 死に狂い
つぶや記 111
死に狂い
佐賀藩士の山本常朝が遺した武士道の教科書『葉隠』には、有名な「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは別に「武士道は死に狂いなり」という言葉があります。いざとなれば理性を捨てて、狂い死ぬばかりだと教えるのですから、それをナマで実践する人物が周辺にいれば、警戒することになるでしょう。
葉隠は実は普遍的に通用する教科書ではなかったのです。常朝はこの著書の巻末に「これは若い者に読ませてはいけない」という意味のことを書いています。「死に狂いなり」の狂気が必要とされるのは、動乱の戦国時代、あるいは闘争という極限情況における身の処し方、現代ではさしあたりスポーツの戦いということになりますか。
維新のイデオローグとされる吉田松陰は、生涯に二十一回の猛烈な行動を起こすと自分に誓い、幕政批判の「狂挙」を実行して、ついに安政の大獄で処刑されました。
松陰の弟子の高杉晋作は、みずからを狂気にかりたて、志士として27歳と8ヶ月の短い生涯を閉じました。異常事態の中で不可能と思われることを発起し、それをなし遂げるには、葉隠でいう死に狂いの覚悟が必要だったのです。
妙に難しいことを並べたのは、フィギア・スケートの浅田真央さんが、いつも本番で失敗するのを見て、「この人は技術の訓練だけではく、精神力を養わなければ、トップ・スケーターの座をつづけることはできない」と思ったからです。同じことは卓球の福原愛さんにも言えます。
すべからず永遠の栄光を獲得したスポーツ選手は、「只今がその時」の瞬間、すべてを忘れた「死ぬ狂い」の境地になれた人であることを、あらためて感じました。
(古川 薫)