名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記110 源平船合戦

つぶや記 110
  源平船合戦

   関門海峡の模擬戦「源平船合戦」が近づいてきました。先帝祭の上臈道中を赤間神宮境内で参観していると、水天門や松の枝越しのわずかな隙間にのぞく海峡を、船合戦の船列が次々と通過して行きます。ひきつづき武者行列が、街を練り歩きます。10万人を超える見物客でごったがえす初夏の風物詩です。
   先帝祭は一大ページェント-。関門海峡で古代と中世を分ける大海戦の末、平家が滅び、幼帝の水死を悼む平家の女官だちが毎年の命日にキラを飾って御陵に参拝するという実話らしいストーリーで、海峡と下関市街をふくむ広大な舞台にくりひろげる野外劇です。
   古典『平家物語』を背景に、このような史劇仕立ての大規模な祭典は、洋の東西を問わぬ希有なもので、世界遺産的な無形文化財といっても大げさではないでしょう。
   さて先日、下関市の邑本稔という人が、源平合戦に登場する「せがい船」のレプリカを製作したというしたという話を、山口新聞で見ました。「せがい」は広辞苑によると、「船の舷外に付き出した船梁(ふなばり)の上に渡した板。艪を漕ぎ、または棹さす所」とあります。ここで艪を漕ぎ、梶をとるのは非戦闘員です。
「水手、梶取ども、うち殺され、斬りふせられ、船底に倒れふためき、叫ぶ声こそかなしけれ」(平家物語)
   義経は海戦の非戦闘員を攻撃する非情な作戦で凱歌をあげたのでした。また義経は長府櫛崎の海賊が献上した「櫛崎船」で海上を自在に駆けまわりながら指揮したと伝えられています。海峡の急潮に適した特殊な構造の船です。日本造船史に名だけの記載はあるが、正体は不明です。そのレプリカをいつか見せてくださいと邑本さんにお願いしておきましょう。    
                                                                           (古川 薫)