名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記95 「暴」の年
つぶや記 95
「暴」の年
誰が決めるのか恒例により今年1年を表す漢字が「絆」となりました。3・11震災のときの合言葉になったことにちなむもののようです。禍々しい災害の記憶を刻むにしては、肌ざわりのよい漢字です。
テレビを見ていたら、漢字の本家中国で道行く人々に、同じ趣旨の漢字を書かせていたのですが、まずは「貴」と出ました。瞬間、あれと首をかしげましたが、すぐに「騰貴」という言葉を思い出しました。物価高をなげく庶民の1年間をストレートに表現しています。
「難」というのもありました。超高速h鉄道の大事故や水害など、半分は人災というべき社会現象に対する人民の悲しみや怒りが、その漢字にこめられています。曖昧にオブラートをかぶせた字を持ってくるのではなく、中国の民衆が即物的に嘆き、悲しみ、怒る感情を表現しているのに比べれば、日本人はまことに楽天家であります。
むかし「退却」のことを「転進」などという言い換え語を発明した日本人の得意技で、そこには現実をまともに受け取らず、できれば傷の痛みを少しでも誤魔化そうとする心理が働いているようにも感じられます。
そこで中国人の顰にならって、ことしを表す漢字を「暴」としてみました。大地震、大津波と自然が暴威をふるった年でした。
そして人類が大自然から盗み出し、その扱い方も充分にはできない幼稚な技術、知識で核を弄んだ罰としての悲惨な被害に曝されているのも自然の暴威です。情緒的な漢字では言い表せない現実認識としては、「暴」以外にあるまいと思うのですがいかがでしょうか。
(古川 薫)