名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記82 「山口県下関出身」

つぶや記 82
「山口県下関出身」

   大相撲が復活9月25日に名古屋場所の千秋楽を迎えました。郷土人として胸をなでおろしたのは、なによりも豊真将・豊響の両力士が、角界不祥事の圏外にいて相変わらずの活躍をしてくれたということです。
   豊響のほうはスランプに悩んでいるようですが、力のある人ですからそのうち必ず盛り返すものと確信します。豊真将の躍進はめざましく、今場所では大関陣をなぎ倒すなど敢闘、新三役昇進は早くからささやかれていました。
   両力士の四股名「豊」は「豊浦」にちなんでいるのですが明治初期、長府藩を豊浦藩と呼んだこともあります。また、仲哀天皇・神宮皇后の宮居を「豊浦皇居」とも呼んでいるように、がんらい「豊浦」は下関市域の汎称でもあるわけで、その四股名をもった力士が、全国に勇名を轟かすのは、ま
ことに痛快であります。
   NHKテレビ相撲放送の視聴者は、おそらく100万人を下らないでしょう。「山口県下関出身」という呼び出しアナウンスが、15日間響きわたるのです。幕内2人の郷土力士ですから、期間中30回、3000万人の鼓膜を震わせているのです。認識が浅く、まだ「福岡県下関市」と考えている人が関東以北には少なくないと聞いていますので、山口県の下関市であることが浸透するにちがいないと、他愛のないことを考えたりもいたします。
   しかしまずは「市名」ですよ。下関市のPRを果たすこれほどの功績は他に例がありません。それにしては郷土力士への声援がいまいちという感じです。わたくしはここ数年、九州場所の千秋楽に出かけ、多少気恥ずかしい思いをしながらも「豊真将!」「豊響!」と声をからしているのですがーーー。ところで、お2人が土俵でしめす礼儀正しさを、いつも誇らしげに眺めています。勝ち名乗りのとき、賞金がないといかにも不服そうに、後足で砂を蹴るように立ち去る行儀の悪い力士は、八百長、野球賭博事件いらいかなり淘汰されましたが、「山口県下関市出身」の豊真将・
豊響は模範的力士です。敢闘を祈る。      
                                                                        (古川 薫)