名誉館長のつぶや記
名誉館長のつぶや記69 本家争い
つぶや記 69
本家争い
金子みすゞは1903年(明治36年)4月11日、仙崎で生まれました。そして1930年(昭和5年)3月10日の朝、下関市南部町の上山文英堂書店の2階で息を引き取りました。服毒による自死でした。26歳、あたら気鋭の閨秀詩人を死に追いやった人々を恨むや切なるものがあります。前後の経緯については研究者にゆずりますが、とにかく作品活動の大方は下関で生活したころでした。
ところで詩人や作家が有名になると、「あの人は自分たちの住んでいるここで生まれた」と誇らしげに言いたて、ときには「本家争い」も現出します。あとでちょっと触れますが、林芙美子の誕生地をめぐって、あさはかな「本家争い」が時に話題になったりします。
さて、金子みすゞのことです。この詩人が多くの人に知られるようになってからすでに久しく、今では国際的に広く知られています。その金子みすゞを広辞苑が搭載しないのはなぜか。みすゞのことを詩人と呼ばず「童謡」詩人とわざわざカンムリをつけるところに問題がありそうです。岩波書店の担当者に尋ねたいところですが、第7版ぐらいにはぼつぼつ登場することになるだろうと思います。現在、広辞苑に載っている下関出身の有名人は、田中絹代・藤原義江・林芙美子の3人です。門司の井上さん(故人)が、伝聞にもとづいて「芙美子は門司で生まれた」と主張、東京の出版社にまで出かけて、全集の年譜の書き換えを申し入れたりしたのは、ずいぶん前のことですが、伝聞でない確固とした根拠がないかぎり、広辞苑はいぜんとして「下関生まれ。」と断定しています。『放浪記』や『一人の生涯』に芙美子自身、「私が生まれたのは山口県の下関です」と繰り返し書いているのを信ずるしかないじゃありませんか。
(古川 薫)