名誉館長のつぶや記

名誉館長のつぶや記57 無惻隠之心非人也

つぶや記 57
  無惻隠之心非人也

   東京で発行される新聞から、田中絹代について何か書いてほしいと原稿依頼があったのは、2月初めのことでした。
わたくしの原稿が編集部に着いたのは3月9日で、数日後、FAXで送られてきたゲラには、「次の部分を削らせて下さい」と添え書きしてありました。
   「-絹代が女優になりたいと願ったとき、関東大震災が起こりました。つまり映画のほうから、大阪にいる絹代に接近してきたことになります」
田中絹代を語るとき、関東大震災との関係に触れずにはおれないのです。東京の撮影所が壊滅したので、映画会社が一斉に京都に移ってきた。たまたま大阪にいた絹代が、新設の松竹下加茂撮影所に子役で採用された経緯を語るという次第です。
   東日本大震災発生により、偶然その話題がかさなったにすぎないのですが、この時期としてはやはり作為が見え透いてきても仕方がないでしょう。「被災者の心情を慮り、せめてこの部分を削りたい」という。
わたくしは快諾しました。気の毒な目に遭っている人をいたわしく思うのは人間として当然の道で、『孟子(公孫丑上)』には「惻隠(そくいん)の心無きは、人に非ざるなり」とあります。
   目を覆うばかりの惨状が展開されているとき、安全地帯にいる者にまず求められるのは、惻隠の情でしょう。目下、諸行事が「惻隠之心」によって中止、自粛される一方では、予定決行をめぐる論議も交わされています。「考え方」による千差万別の解釈がありますが、大震災後の惨状は、おそらくこれから長期にわたるでしょうから、際限もなく自粛していては社会の動きが止まってしまいます。そこで一定の「服喪期間」をおくというのも一つの考え方ではないか。その服喪期間をいつからいつにするかは、自ずから人間の良識が決めることだと思われます。
                                                                        (古川 薫)