トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記263 塞翁と国境領主

つぶや記 263
   塞翁と国境領主

   中国古代「塞翁が馬」は辺境の砦(国境)で暮らす翁の禍福を語る説話です。江戸時代、長州藩では萩の本家と岩国の吉川家が不仲で、吉川家は大名になれませんでした。
   吉川家のあるじ吉川経幹が塞翁、つまり国境領主としての立場に苦しんだのは、長州藩が幕府と対立した幕末です。挙国一致をめざす本家の毛利敬親は、はじめて岩国を訪れ、吉川家の大名昇格を約束して和解に成功します。
   それからの経幹の国境領主としての活躍はめざましいものでした。第1次長州征伐の幕軍本陣(広島)に、単身扇子1本の丸腰で3家老の首を持って乗り込み、堂々と交渉した模様は『吉川文書』に詳しく記録されています。経幹が大名に昇格したのは、幕府が大政奉還したのち明治2年です。明治4年が廃藩置県ですから、吉川家は日本最後の大名ということになります。
   さてアメリカと事実上の国境に位置する岩国は、宿命的な塞翁の苦しみを味わう土地といってよいでしょう。6月26日付け山口新聞のコラム「四季風」の冒頭「岩国市長が米軍厚木基地所属の空母艦載機部隊の岩国基地への受け入れを表明した23日は、沖縄戦の組織的戦闘が終わった日」とあり、さらに元沖縄県知事大田昌秀さんの少年兵として沖縄戦に参加させられた悲惨な体験をつづった著書からも引用してあります。
   わたくしの著書『君死に給ふことなかれ』(幻冬舎)の少年特攻兵が、摩文仁近くの海域を通行中の米駆逐艦に突入、散華したのは終戦1ヵ月前のことです。その少年特攻基地だった宮古島は、戦後ハワイ風楽園の島になりましたが、最近にいたって軍事基地に変身しつつあります。日本中いたるところに塞翁がいます。
   岩国市が米空母艦載機部隊を受け入れ、一大基地の町になることへの決断を現代の塞翁が下しました。新聞各紙は直接批判は表明していませんが、なんとなく眉をひそめるかの報道姿勢を見せています。「塞翁が馬」はこれからどう跳ねるのか、やはり眉をひそめながら禍福を見守るしかないようです。
                                                                               (古川 薫)

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