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つぶや記 244
  『マルテの手記』について

  デザイナーの三戸光顕さんにあてたハガキに、曖昧な記憶で『マルテの手記』の書き出しを引き、病院の印象を書きました。三戸さんの返事に、リルケのことが書いてあったので、しまったと思ったのです。あんな無責任なことを書き散らしたものを遺してはいけない。どのみち野放図な男のことだからと嗤われてもよいかもと一応は考えたのですが、やはり気になるので調べてみました。もう半世紀も前の記憶とはいい加減なものだと苦笑しながら面白い発見もありました。
  「人は死ぬために、この街に集まってくるらしい」と、わたくしは憶えていたのですが、正しくは「人々は生きるためにこの都会にあつまってくるらしい。しかし、僕はむしろここではみんなが死んでゆくとしか思えないのだ」です。歳月を経るうちに、2つのセンテンスを合体させて記憶に定着していたらしいのです。
  大山定一の訳です。名訳とされており、わたくしら世代はこの大山訳と出会うことから、リルケを知ったのです。この大山訳はかなり思い切った意訳で、現在では誤訳と批判されています。
    So also hierher Kommen dia Leute,um zu leben・・・
  大山訳を誤訳だと批判する高安国世(ドイツ文学者・歌人)ご本人の訳は、次のごとくです。
  「そう、要するに人々は生きるために、このパリにやってくる」
  同じくドイツ文学者の川村二郎の訳は-
  「つまり、ここへ人々がやってくるのは、生きるためではあるのだろうが」とあります。両方、かくも平凡な文章になっています。
  わたくしたちには、大山訳と原文を比較して論評する語学力はないのですが、詩人リルケのドイツ語を美しい日本語に「置き換えた」大山訳をよしとします。高安、川村訳の「要するに」とか「つまり」といった常套語からして、いかにも乾燥した文章に聞こえます。意訳であろうが、超訳だろうが、僕ら日本人にとってライナー・マリア・リルケは、大山訳の『マルテの手記』として、心に棲みついているのです。
                                                                                     (古川 薫)

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