トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記226 成瀬仁蔵という人

つぶや記 226
  成瀬仁蔵という人

  NHK朝ドラが今回も高視聴率のようで、ヒロインの口癖「びっくりぽん」が国会議場で議員の口から飛び出すというあんばいです。
  目下は「あさ(本名広岡浅子)」が女子大学校設立に命を張るといった緊張場面です。ところでこのヒロインに女子大学校の設立計画を持ちかけてきた成澤泉という青年が登場しますが、彼が実在の人物で、山口生まれの本名成瀬仁蔵だといってもピンとこない人が多いかもしれません。
  成瀬仁蔵は安政5年(1858)、周防吉敷郡(現山口市吉敷)で、毛利一門の吉敷毛利家につかえる下級武士の子として生まれました。父小左衛門は祐筆をつとめる実直な侍で、漢学を修めていたので、維新後に禄をうしなってからは私塾をひらきました。
  仁蔵はそれを継ぐことになるのですが、父の死後山口の教員養成所の2期生に入り、卒業して小学校の教員となります。
  やがて女学校の校長、キリスト教に入信、牧師などの経歴を経て、アメリカに留学します。クラーク大学に学んで、明治27年(1894)に帰国、アメリカで見てきた女子の高等教育の現状を日本でも実現しようと運動をはじめ、広岡浅子がそれに共鳴するところからドラマが展開されるというわけです。
  女子教育への無理解もあってさまざまな難関を突破し、ついに目的を達するのですが、広岡浅子が実家の三井家に働きかけ東京目白の土地を三井財閥が提供、その他大隈重信・伊藤博文・渋沢栄一ら政財界からの応援を得て、明治34年(1901)日本女子大学校(現日本女子大学)は創設されたのです。現在山口市吉敷の誕生地には「成瀬公園」があり、「成瀬仁蔵氏誕生地記念碑」が建てられています。裏山には墓があります。
  山口県では、総理大臣の名は大人も子供もよく覚えていますが、政治以外のことには関心が薄いようです。日本大学の学祖が山田顕義、拓殖大学の学祖は桂太郎という長州人であることもあまり知られていません。
                                                                                   (古川 薫)

  

下関市文化振興財団
下関市近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館

下関市立近代先人顕彰館
田中絹代ぶんか館

指定管理者:
公益財団法人 下関市文化振興財団
〒750-0008
山口県下関市田中町5番7号
TEL 083-250-7666
FAX 083-231-0469

年間スケジュール ふるさと文学館収蔵品一覧 建物3D お客様の声 過去の講座資料