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つぶや記 217
『放浪記』のでんぐり返し

  下関生まれの作家林芙美子の代表作『放浪記』を劇化した同名の芝居を、2000回超演じた故森光子のあとを継いで、仲間由紀恵が演(や)ることになり、このほど東京で幕開けしたというテレビ・ニュースを見ました。有名な森光子の「でんぐり返し」のシーンを、仲間は「側転」に置き換えてやっていました。賛成です。
  このでんぐり返しは原作にはなく、脚本にもないのですが、初演の演出は菊田一夫が兼ねたそうです。そもそも『放浪記』の原作を読まないで、この作品を通俗小説と思い込んでいる人が多いのは、菊田脚色によるものと思われます。
  宝石のような文章を随所にちりばめた作品と川端康成が絶賛した『放浪記』を誤解させる代表的な場面が、木賃宿の万年床の上でのでんぐり返しです。大衆受けしなければショー・ビジネスとしての演劇は成り立たないのでしょうが、それにしてもやりすぎの感は免れません。
  ところで「文藝春秋」11月号で、新生『放浪記』に出演する仲間由紀恵と石坂浩二が対談していますが、そのタイトルが〈『放浪記』林芙美子は嫌な女だった〉となっています。お二人とも「だったそうですね」と芙美子の生前の悪評を平然と認めているのです。
  わたくしなどは人物伝を多く書いてきましたが、嫌な人間のことを書く気にはなれませんでした。演れといわれれば嫌な人物にも挑戦し、悪女は悪女なりに、魅力的に演じて見せるのが役者の仕事というものですか。
  実際にはどうだったのでしょうか、多くの証言もあって、林芙美子が「嫌な女だった」ことは定説になっています。
  「暗澹と至福の旅」とされる最晩年の作品『浮雲』のヒロイン幸田ゆき子は芙美子の分身のような女性で、「嫌な女」の最たるものかもしれませんが、深い悲しみが底にあふれる味わいが、この作品を傑作として遺すことになったのです。「書いた人よりも、作品の中の人には魅力がある」という評は、林芙美子だけでなく万人にあてはまることだと痛感させます。
  『放浪記』は成瀬巳喜男監督により映画化されています。監督は晩年の「不機嫌で、無愛想で、ふて腐れた」林芙美子の実像を再現し、イレギュラーな人生を選ばれざるを得なかった女の悲しみを冷たく描いてゆきます。これが大衆演劇でない成瀬映画の真骨頂ですが、高峰秀子はそれをみごとに演じています。わざと容貌を歪ませ、ふて腐れた態度を熱演していて、この映画を傑作に仕上げました。
 女優が劇中の人物になりきって、ついにそれが生身の肉体に沁みついてしまうこともあるのでしょうか。晩年の高峰秀子さんをテレビで何度か見ましたが、ふて腐れ、不機嫌な林芙美子を実生活でも演じているのかと思ったことがあります。ある映画評論家が「昭和の女優10人」の中に高峰秀子を入れなかったことに、ファンから異議が出たことがありますが、わたくしには理解できました。
  さて仲間さん、NHKの朝ドラであなたが演じた白蓮夫人のあの鮮やかさが、まだ記憶にあたらしいときです。ここはひとつやはり高峰秀子的でない「イレギュラーな人生を選ばれざるを得なかった」美しい女の悲しみを訴える別人の林芙美子を演じて下さい。
                                                                                   (古川 薫)

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