トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記199 毒ガスの恐怖

つぶや記 199
毒ガスの恐怖

   このところオウム真理教の地下鉄サリン事件裁判のニュースが連日報道されています。過激集団「イスラム国」が、毒ガスを使用したとかの物騒な話も聞こえてくると、この世の中どうなるのだろうと身の毛もよだつ思いです。
   毒ガスでなく細菌を散布する化学兵器の使用はまだ聞いていませんが、これを航空機でばらまかれたら、もう処置なしです。
   わたくしなど日本軍最後の兵士の経験では、正規の軍装にガス・マスク(「被甲」と呼んでいました)は必携となっていました。このマスクを装着して駆け足をやらされたこともあります。そんな懲罰用に使うくらいで、まさか本当に毒ガスの中で戦闘することはないだろうと思っていました。
   ところが、日本軍はホスゲン・ガスの毒ガス弾を製造しており、およそ6000発が発見されたという戦後の報告を聞くと、兵士全員に「被甲」を支給したのも当然だったと気づきました。こっちが作っていれば、相手も使う。恐怖にかられての競争だったのでしょう。
   B29が爆弾や焼夷弾ばかりでなく、毒ガス弾も落とすという想定で、わたくしたちは軍で毒ガス教育もうけたのです。「イベリット・ガスには林檎が腐ったような芳香がある」といったことを今も記憶しています。悪夢は冷めないのですよ。
  第二次大戦中、小倉の造兵廠に動員された女学生が風船爆弾なるものを作りました。全国で9300個製造、9000発を放球したうち1000発がアメリカ合衆国に到達したそうです。オレゴン州で5人の死者が出たことは分かっていますが、風船爆弾の効果はないと日本に思わせるため厳重な報道規制をしたので詳細は不明のままです。
   日本は風船で爆弾ははこんだが、細菌は送らなかった。殺し合いはしても、ギリギリのところで踏みとどまったのです。細菌を仕込んだ化学風船爆弾を日本軍が飛ばさなかったことをアメリカの人は覚えておいてください。そして米軍は巨大な化学兵器というべき原子爆弾を日本の都市に2発投下したことも。
   中東やヨーロッパで狂気の嵐が吹いているこのごろ、何をするかわからないモンスターが日本人を殺すと喚いています。人倫のタガが外れて命の危険もグローバルの世紀となりました。
   ヨーロッパでは第一次大戦で毒ガスを使用していますが、第二次大戦では使われなかったようです。わたくしがベルリンの壁が崩れた直後、東ドイツに入ったとき、道端の露店でガス・マスクを山積みして売っているのを見ました。冷戦時代にはその恐怖もあったのですね。ベルリンの壁のカケラをセロハンに包んだおみやげは買いましたが、1個300円くらいのガス・マスクには手を出しませんでした。しかし今だったらどうかな、旅行カバンに押し込んで、つれて帰るかも。
                                                                               (古川 薫)

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