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つぶや記 190
スコットランドのこと

   スコットランド独立の可否を問う住民投票の結果は、独立反対の結果に終わりました。言ってみれば下関市民であるわたくしにとって、利害があるわけでもない遠いヨーロッパの国のことなのに、何だか気になって関心を寄せていたのには、わけがあります。
   まず下関出身のオペラ歌手藤原義江の父親N・B・リードの故郷がスコットランドです。イギリス人でなく「スコットランド人」というのは、わたくしたちも意識下でイングランドとスコットランドを2つの国家と考えているからでしょう。
   わたくしは岩倉使節団の業績取材などで3度ばかり英国にいきましたが、このふたつの島の雰囲気は違うのではないかと思いました。気のせいかロイヤル風を吹かしていないスコットランド人に親近感がもてました。
   明治維新でイギリスは薩長を支援しました。幕府を応援したのはフランスです。長州藩がとくにお世話になったのは、長崎に本拠をおいた英国商人トーマス・グラバーでした。
   幕末日本に進出してきた英国商人は、ジャージン・マジソン商会を中心とするスコットランド系とデント商会に連鎖するイングランド系に分かれますが、維新史に深く関わってきたグラバーはスコットランド系でした。その流れをくむ長崎のホームリンガー商会との日英合弁会社・瓜生商会が下関に店をひらき、支配人としてやってきたのが藤原義江の父リードです。
   長州藩がいわゆる四境戦争で幕府の大軍を撃退できたのは、グラバーから買った大量の新式小銃だったことはよく知られています。また長州藩が輸入した約10隻の軍艦はすべて英国製です。攘夷戦でアメリカの軍艦ワイオミング号と戦い撃沈されましたが、相手にも打撃を与えて善戦した壬戌丸(じんじゅつまる)はスコットランドのグラスゴー造船所で進水したことが分かっています。
   そんなわけで長州藩とくに下関とは縁の深いスコットランドに関心を寄せるのですが、ついでにいえばスコットランドがイングランドから離れないのはよかったと思います。日本の武家が「長子単独相続制」を保ってきたのは、兄弟が家禄を等分に分けて相続すると家の力が分散して衰亡することを避けるためでした。
   それと理屈は同じです。スコットランドが独立すると大英帝国は弱小国家となり、やがては共倒れということにもなりかねません。スコットランドの人たちは賢明な道を選んだのです。イギリスの衰亡は世界経済に大打撃を与えることになりますから、わたくしたちにとっても対岸の火ではなかったのです。
   下関では彦島のことをヒコットランドとよびます。攘夷戦のとき彦島を租借したいというイギリスの要求を、断固として高杉晋作が拒絶したという話が遺っています。ヒコットランドを離島あつかいすると独立運動が起こるかもしれませんぞ。もっとも今の市長さんは彦島在住ですがね。
                                                                               (古川 薫)

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