トップ > 名誉館長のつぶや記 > 名誉館長のつぶや記188 帝王の明日

つぶや記 188
帝王の明月

   9月8日は中秋の明月でした。晴れていたので、周防灘の東岸にのぼる盆のような月を見られたのに、仕事に熱中していて見逃してしまい、深夜中天に小さく輝く真円の満月を仰ぎました。
  翌日、十六夜(いざよい)の月を眺めようと思いながら就眠、さてその翌日が大変です。全米オープン優勝戦、錦織さんの敗北はわたくしのトランプ占い(これがよく当たるのですよ)で予言し、三戸光顕氏にネットしておきましたが、これは的中でした。
   満月の翌朝はテニスよりも、『昭和天皇実録』が公表されたという新聞報道にしばらく読みふけりました。" 明月と昭和天皇 " については強く印象に残ることがありました。
   実録中1998年9月22日の項に「医療用電動ベッドにお移りになる」という記事があり、「とあるだけで何が行われたのか分からない。手術内容は、亡くなった日に言及されているが、不可解だ」としています。(山口新聞「視点論点・昭和天皇実録・さらなる検証が必要」)
   わたくしが調べたところ陛下は1988年(昭和63年)9月19日に喀血、重症となっておられました。その後小さく新聞が報じていたのは、天皇がベッドで手鏡を使い月を観られたということでした。
   昭和天皇は大学ノートに字を書くとき、たとえば「蓋」という字をわたくしたちが窮屈に努力して1行に納めるところを、陛下はそこだけ2行分使ってのびのびと書く―。「帝王の字だ」とわたくしは思ったものです。手鏡のことを知ったときも「あ、帝王の明月だ」とわたくしは内心さけびました。
   後ろ向きになり手鏡での観月とは酒脱の極ですが、その病室ではベッドが窓から離れていたのでしょう。今生最後の明月という陛下の必死の思いも伝わってきます。中秋の明月は9月25日でした。
   さてわたくしの推理はこうです。明月が近づいてきたので9月22日、陛下は手鏡を取り寄せて、まず十三夜の月を眺められた。それを見た侍従が、その日のうちに急きょ電動ベッドをはこばせた。だから陛下は窓辺に据えたそのベッドで中秋十五夜の月を心ゆくまで鑑賞された。翌26日から重態に陥り、翌年1月7日の崩御を迎えられるのです。
   もう少し詳細に取材、ミステリアスな味付けもして『帝王の明月』と題したエッセイに仕上げたいところですね。
                                                                                (古川 薫)

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