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つぶや記 181
エ・アロール

  渡辺淳一さんが亡くなりました。4月30日のことですから、旧聞に属しますが、このところ毎日のように、わたくしは渡辺さんのことを思い出していたのです。
  2階の廊下にある書架に並ぶ渡辺さんの著書の中に『Et Alors  エ・アロール』(角川書店)があり、400ページを超える本なので背文字も目立つのです。
  「ミッテラン仏大統領が記者会見のあと、ある記者から女性問題を問われたとき " エ・アロール " それがどうした、と答えた。記者は二の句が継げなかったというのは愉快な話だね」そんなことをわたくしに話したことを覚えていて、その著書を送って下さったのです。サインしてもらっておけばよかった。渡辺さんのサインがあるのは『ダブル・ハート』(1976年・文藝春秋)だけで、あとはみんな「著者謹呈」の短冊がついているものです。
  わたくしと渡辺さんのつきあいは30年ばかり前、渡辺さんが講演で下関に来られたときから始まりました。酒の席で隣にいた渡辺さんは、わたくしにある話をしてくれました。それはわたくしの運命を変えるほどの内容でした。
  渡辺さんの医師時代の経験です。「一抜けて一人出世していく同僚の後ろ姿を見て激しく嫉妬するやつは、いつまでも底辺をうろつく小者で終わる」そんな話です。雑談風にではありましたが、直木賞候補に挙げられながら落選をつづけているわたくしへの励ましだったのです。目からウロコの感じでした。
  第100回の両賞選考で、年齢からいえばわたくしの後輩にあたる杉本章子さんと一緒に直木賞候補になりながら、わたくしは落選、杉本さんが受賞しました。
  その授賞式にわたくしは上京して出席したのです。「古川はよく来たな」とささやく声も聴きましたが、わたくしは平然としていました。祝宴にも出席、二次会にも誘われて行ったのですが、そこで選考委員の渡辺さんとばったり会いました。「ああ、古川さん」とそれだけ言って、渡辺さんはわたくしの手を握りました。それから2年後にわたくしは『漂泊者のアリア』で遅い直木賞受賞となりました。「男女の愛をあつかったもので渡辺さんが首を横に振ったら落ちる」といわれていました。拙作にたいする渡辺さんの評は「主人公を見る作者の目のあたたかさがよく伝わってくる」でした。授賞式当日、控室でわたくしが「下関でのこと、覚えていらっしゃいますか」というと「もちろん覚えているとも」と快活な返事でした。渡辺さんは恩人であります。著書の贈呈を交わす程度のおつきあいでしたが、渡辺さんの目覚ましい活躍ぶりをひたすら見守っていました。
  「正直なところ私は女性が好きなんです」ととぼけたように開き直って、「エ・アロール」などと嘯(うそぶ)き、自身のこともふくめ奔放な男女関係を書き続けた渡辺さんに、世間は毀誉褒貶の視線を送りましたので、内面の悩みもあったようです。渡辺さんは人間が好きだったのですよ。ご冥福をお祈りします。合掌。

                                                                           (古川 薫)

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