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つぶや記 179
凄絶な花吹雪

   萩椿東の吉田松陰の実家杉氏の屋敷で、安政5年(1858)の正月を、久坂玄瑞は松陰の妹「文(ふみ)」との新婚1カ月を迎えました。
   それから5年後の文久3年5月、玄瑞は下関にいます。すでに王城の地京都を舞台とする過激な攘夷派志士としての行動に入っており、この当時は関門海峡を通航する黒船攻撃をねらって、浪士隊をひきい下関に待機していたのです。
   5月10日を期して外国艦船を撃てという幕命が出ています。ただし外国が攻撃してきたら応戦せよとの条件が付いていますが、攘夷は開始できるとの解釈で戦闘行為が始まりました。憲法第9条の条文解釈をめぐる平成26年現在を彷彿とさせる政治状況です。
   久坂玄瑞ら光明寺党は5月11日未明、門司田ノ浦沖に停泊中のアメリカ商船ペンブローク号を不意に砲撃、この日から維新史の大事件「馬関攘夷戦争」が始まります。事件直後、京都で宮廷クーデターがあり、玄瑞らは以後の攘夷戦に加わらず京都に移動していますので、久坂玄瑞と下関の関わりは、4月26日から攘夷実行の日までのおよそ半月間です。(ひょっとしたらNHKドラマ『花燃ゆ』に下関は登場しないかもしれませんが、安倍首相のおひざもとですから・・・・・・)
   下関にいる間に玄瑞は関門海峡の桜を見て、万葉調の長歌を詠んでいます。
「きみのため、剣とりはき/ますらをが、かへりみもせず/うみをなす、長門の国ゆ/いや遠に、海原わたり/いや高に、山路うちこし・・・・・しろたへの、ゆきもけぬべし/はなぐはし、さくらもさかむ/いざやこら、みやこのはるを/ゆきてや見まし」
   玄瑞が関門海峡のほとりで見たのは爛漫の八重桜でしょうが、すぐにみやこ(京都)に思いを馳せています。このころ彼は京都に井筒タツという愛人がいました。これ史実です。桜からの連想が、萩にいる文さんではないのが悔しくもおもえます。
   ところでわたくしの家に隣接する小公園に、八重桜の巨木がことしも爛漫の花を咲かせてくれました。5月の連休が始まって先帝祭など関門海峡の周辺でにぎやかな行事がくりひろげられても、ちょうど150年前、この海峡で攘夷戦が展開されたことを回想する人は少なかったでしょう。
   そんなとき周防灘からの無情の強風が吹きつのってきましたが、散るにはまだ早い時期で花弁は枝にしがみつき、横なぐりの風で薄赤の縞(しま)となって、必死に耐えているさまは何とも健気な姿です。これぞヤマトナデシコですか。
   翌朝、風はおさまっていましたが、この桜の木の下は一面の華やかな雪景色、京都禁門の変で散った久坂玄瑞を追慕する女性(にょしょう)ふたりの凄絶な花吹雪は、わたくしの知らぬ間のさつき宵闇のできごとでした。
                                                                              (古川 薫)

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