旧逓信省下関電信局電話課庁舎
昭和30年代の外観
中庭を囲んで北棟があった。
(北棟は平成8年に解体)
屋上の様子
特徴的なパラボラアーチの赤い屋根は
当時最新式の防火水槽だった。
中庭を囲んで北棟があった。
(北棟は平成8年に解体)
屋上の様子
特徴的なパラボラアーチの赤い屋根は
当時最新式の防火水槽だった。
下関市庁舎第一別館は、大正13(1924)年に、旧逓信省下関電信局電話課庁舎として竣工しました。
この建物の特徴は、高さを強調する直線と塔屋や窓に見られる曲線による、シンプルかつモダンなデザインにあります。当時の逓信省営繕課により設計されたこの建物は、ヨーロッパの新建築運動に影響を受けた若手建築家たちによる「分離派建築会」の建築の要素を持っています。
大正末期から昭和初期にかけて全国に建てられた電話局舎は、ほとんどが同様の特徴をもっていましたが、今では、この建物が現存する唯一の建物となっています。
室内装飾
天井のレリーフ
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換気口のモチーフ
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室内に現存する装飾部分。伝統的要素を残しつつも、円や三角などのモチーフを使ったモダンなデザインが特徴的。
大正15年当時の執務風景
2階執務室には、柱の上部や窓際の持送りに、曲線と段を効果的に用いた装飾が見えます。
当時は女性が社会進出を始めたばかりで、電話局に勤める女性電話交換手は花形の職業婦人でした。
局舎の3階はオルガンや読書台が置かれた休憩室で、今はない北側の建物には裁縫などを習う訓育室、蓄音機の置かれた畳敷きの休憩室などもあり、女性の教育と福利厚生に十分な施設を備えていました。
建物の歴史年表
大正十一年(1922) | 逓信省営繕課による設計、工事着工 |
大正十三年(1924) | 逓信省下関電信局電話課局舎として竣工 |
昭和二年(1927) | 鉄筋コンクリート造による北棟が増築 |
昭和二十年(1945) | 下関空襲 唐戸一帯が焼失被害 |
昭和四十一年(1966) | 新市外局庁舎へ機能移転 |
昭和四十四年(1969) | 下関市の所有となる |
昭和四十五年(1970) | 福祉センター開設 |
昭和五十一年(1976) | 福祉センター廃止 |
昭和五十一年(1976) | 市庁舎第一別館と改称、教育委員会等が利用を開始 |
平成三年(1991) | 建物の老朽化により教育委員会等が退去し、空き家となる。 |
平成五年(1993) | 市が解体方針を決定 |
平成八年(1996) | 老朽化が進んだ北棟を解体 |
平成十一年(1999) | 建物保存に対する市民の盛り上がりを受け、解体から保存へ方針を転換 |
平成十四年(2002) | 下関市有形文化財に指定 |
平成十八年(2006) | 保存整備基本計画策定 |
平成十九年(2007) | 下関市近代先人顕彰館(仮称)開館準備室を設立し、建物改修設計 |
平成二十年(2008) | 改修工事着工 愛称を「田中絹代ぶんか館」に決定 |
平成二十二年(2010) | 田中絹代ぶんか館開館 |