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田中絹代 思い出のエピソード

皆様からお送りいただいた、田中絹代思い出のエピソードをご紹介いたします。
(個人が特定されるような固有名詞は削除させていただきました。)

エピソードⅤ ~私と絹代さん~

私が21頃愛染かつらの映画があって、上原健と田中絹代で大変な人気者だった。前編、後編、完結編まで、朝から晩まで見て帰った時、親から叱られた事を想い出します。それ程、田中絹代さんに熱中していました。娘時は、下関の大坪にいて、田中さんの近くでお友達に教えて貰った事があり大変嬉しかった。可愛い方で、おしくてたまりません。

80代女性(山口県下関市)

戦後初めてアメリカへの旅行から帰国して機上からのアメリカナイズされた容姿、態度が随分話題となった。
また戦前の映画「愛染かつら」は私が軍隊に入る前に見た最後の映画でした。

80代男性(山口県下関市)

昭和30年代後半(か40年代初め)、上新地で上臈道中されている田中絹代さんを目の前でみました。小柄でおかっぱで親しみやすく感じました。田中絹代さんというと、いつもその時のことを思い出します。

70代女性(山口県下関市)

50年前、映画館で田中絹代、上原謙共演の「愛染かつら」前後編を初めてみましたが、その際、友人から「田中絹代は下関の出身だよ」と初めて教えられました。
以来、彼女出演の映画を続けてみていました。これを機会に映画ファンとなっていました。
私にとって貴重な思い出でした。

70代男性(山口県)

私の名前は「絹代」といいます。
才色兼備の田中絹代様のような素敵な女性になってほしいと、父が名づけたそうです。
田中さんについては、母から昔「女性で初の映画監督」と聞いた以外は知らないので、生誕100周年のこの機に是非、田中さんの事を知ってみたいと思っております。

50代女性(山口県下関市)

「戦後高校生と愛染かつら」
 初めて田中絹代の映画を見たのは、映画が唯一の楽しみだった戦後、北海道小樽の松竹座で「愛染かつら」が上映されていた。
 高校生だった僕には、その内容をどれほど理解できたか覚束ないが、若い心になんとも云えない甘い切ない想いが残った。
 百年に一人と云われた美男子上原謙と、見るも愛らしい田中絹代の逢瀬のシーン。「花も嵐も踏み越えて・・・」と唄う白衣の天使、田中絹代の姿は、今も脳裏に鮮明に遺っている。
 当時は遠い雲の上のような人だった田中絹代が、この地の出身だったことを知り、彼女について色々と見聞きできることが夢のようでありがたく、これから過す老後が楽しみで感謝している。田中絹代ありがとう。バンザイ、百周年に栄光あれ!

70代男性(山口県下関市)

渡米し、帰国の羽田で飛行機のタラップで確か、投げキッスをした場面が、幼少の私の脳裏にとても強いインパクトで、今も昨日の出来事の様に想い出されます。

60代女性(埼玉県)

 彼女は大女優として今もなお語り継がれる方です。多くの素晴らしい映画に出演なされ、その美しい姿や優美な演技に、どの作品を観ても私は感動させられっぱなしです。
 しかも彼女は女優だけでなく、映画監督として6本の作品を残しています。「女ばかりの夜」という映画を観たとき、彼女が女優としてだけでなく、この時代には大変めずらしい女流映画監督であるという事実を知り、私は大変感動しました。当時にしてみれば、女と言うだけで監督としての風当たりは相当強いものだったとおもいますが、それにも負けずご自分の意思と感覚、そして才能を信じて映画を撮られた事に心から感銘を受けます。
 私は外国人ですが、日本の古き良き時代の映画は、本当に大好きです。古い洋画も良いですが、それにはない深い心の中の郷愁、慎み深さ、寂しさや憂いが切実と伝わってきます。

30代男性(東京都)

一番強烈に印象に残ってるのが、日本テレビの「前略おふくろ」。ドラマ放送期間中は、知る由もなかったんですが、亡くなった際に、実は病で殆ど目が見えなかったのにも関わらず、このドラマのナレーションを、いくつものメガネや虫メガネを使って、やってのけたというエピソードに・・・。そんなこと微塵も感じさせなかった堂々のナレーションぷりに、プロ根性に・・・。いまでも体調がすぐれない時には、このことを思い出して、「がんばらねば!」と、カラダにムチ打ってしまいます。

40代男性(岡山県)

 私と田中絹代との出会いは新藤兼人監督が書いた「小説田中絹代」でした。
 それまで戦前戦後のトップスターという位の知識しかなくてどういう人だったのかなあと軽い興味本位で読みました。
 その本には清純派女優田中絹代の華麗なる男性遍歴などかなりセンセーショナルな部分も書いてありましたが、なかなか魅力あるものでした。
 愛人の溝口健二監督の映像美の中の絹代もとても美しいですが、私は「サンダカン8番娼館・望郷」の絹代がとても好きです。その映画の絹代はひょっとしたら美しいとはいえないかも知れませんが・・・いえいえ、絹代のこれまでの人生がすべて体当たりで現れていてとても美しいです。
 大阪の愛染堂には、映画「愛染かつら」の縁結びの霊木があります。桂にノウゼンカズラのつるが巻きついていて夏にはオレンジ色のきれいな花を咲かせます。絹代は「愛染かつら」の映画の話があったとき、最初は子持ちの役だったのでがっかりしたと本に書いてありましたが、この映画はとてもいい映画でヒットもしました。この霊木「愛染かつら」にお願いすると良縁が叶うといわれています。アラフォーでいまだ独身の私もこの霊木に参ってお参りを求めました。ご利益があることを期待しています(笑)

40代女性(奈良県)

 忘れじの微笑み
 田中絹代が銀幕の女王だった頃、私はホヤホヤの女学生でした。当時女学校の生徒に映画館はお出入り禁止の場所で、万が一見付かると県教護連盟の懲罰委員会にかけられ何と退学も有りとの恐い噂がありました。憧れと懲罰、そのジレンマに心を傷めた末、私は県外脱出と言う手段に討って出る事を思い付いたのです。幸い、福岡は母の里でした。そこには祖母をはじめ伯父、叔母、従姉妹、再従兄弟も居ます。夏冬の休みに泊りがけで遊びに行きよく映画館に連れてってもらいました。幾許かの罪悪感を制服のポケットにそっと押し込み、身を乗り出して見つめた映画の味は禁断の木の実に増して甘く切なく、思春期の私のハートには良きサプリメントだった気がします。「お夏清十郎」「愛染かつら」等等に見た楚々として愛らしい田中絹代の微笑みは懐かしい思い出として折にふれ、今も私の心を温めてくれています。

80代女性(山口県下関市)

 私は介護の仕事をしています。レクレーションで映画鑑賞が有り田中絹代さんが出演されていました。凄く綺麗で演技も上手で老人の方にこの人は誰ですか?と尋ねて初めて田中絹代さんだと知り私もファンになりました。

30代女性(滋賀県)

 学生時代、ファッションデザイン課を専攻していた時田中絹代さんをイメージした着物デザインを考えなさい。と言われビデオを見まくり徹夜をして、みごと一位を受賞したことがありました。日本人の女性像を見事に体現している田中絹代さん。本当に美しい女性でした。

30代女性(東京都)

 ≪花も嵐も踏み越えて~♪≫の【愛染かつら】と同じく看護師をしています。かつて勤務の場所での若い同僚の名前が【かつえ】まさしく 映画から名前を頂いた彼女は 看護師になってました。

50代女性(神奈川県)

 何年前だったでしょうか。
 先帝祭で竹筒の花を持ち、そそと歩く小柄な品があり、一般の人とは違うなにかがありました。
 私が生で見た田中絹代さんでした。今でもその光景が目に浮かびます。

60代女性(山口県下関市)
下関市文化振興財団
下関市近代先人顕彰館 田中絹代ぶんか館

下関市立近代先人顕彰館
田中絹代ぶんか館

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